東京大空襲を忘れない
−戦争の本質とは何か?!−
今から61年前の今日(1945年3月10日)深夜零時過ぎ、轟音を響かせて東京上空に飛来した米軍のB29戦略
爆撃機334機は、二時間半に渡って逃げまどう市民をあざ笑うように徹底した無差別爆撃を繰り返した。その模様はさながら地獄絵図を見るような光景だっ
た、と多くの生き残った市民が語っている。二時間半というわずかな間に8万とも10万人とも言われる市民が命を落した。26万を越える建物があっと今に焼
失した。猛火の中で九死に一生を得た市民の数は61年後の今日でも数え切れない。これが「東京大空襲」として語り継がれる悲劇であった。
東京大空襲は、日本人にとってまさに悪夢の一夜だった。そして人間としての全存在を否定されたに等しい壊滅的な夜であった。「戦争」というものの現実の姿
がすべてここに凝縮されてある。東京大空襲は、日本人というよりも、”人間にとって戦争はどのようなことがあっても肯定されるべきでない”と教えているの
である。結局、軍部に主導され続けたわが日本国政府は、東京大空襲以後も勝ち目のない戦争を継続し、最終的に広島、長崎の原爆投下という最悪の事態を招い
て敗北したのである。いったいこれは誰の責任なのか・・・。
私は、この数年間、毎年この日、早乙女勝元氏の名著「東京大空襲」を手に取り、その時の悲惨な現実を想起することにしている。この本は、戦争集結から26
年目に当たる1971年に岩波新書として発行されたものであるが、読みながら、胸が張り裂けそうな気持になってくる。
その中にある女性のこんな証言がある。
「(前略)はじめ雨かと思いましたけど、そのにおいで、すぐガソリンとわかりましたよ。ああ、これで、私ら焼き殺されるんだ。死ぬのかな、って思いまし
た。けど、そのとたん、畜生、死んでなるものかと思い、必死で起き上がろうとしたんですけど、ダメなんです。私の上は、死体だらけ。その死体がつみかさ
なって、みんなまっくろこげの棒みたいになっているんです。先に私がたおれたでしょ、で、あとからきた人たちが、私につまづいて、折り重なったんですね。
きっと。みんな炭みたいいなって、熱さのせいか、こう、ぎゅっとそりかえって、ホトケ様になっていましたよ。私は顔にひどい火傷、死体の下にいたので、ど
うにか助かったんですよ。(後略)」
これ以上、この証言にどんな説明がいるだろうか・・・。むやみに戦争の科学進歩に対する貢献を声高に叫ぶ人々がいる。極端にも、戦争は歴史発展の一過程で
あり、これによって人類の人口調節も科学技術も進歩してきた、などとぬけぬけと言う者もいる。このような人は、自分の事あるいは自分の家族が渦中でいるこ
とはないと、歴史傍観者の立場でいるということである。
今日、東京大空襲を身をもって経験された人は亡くなっていて、あっという間に、戦争を知らない世代が全体の八割を越えてしまった。日本の今日の平和は、
「東京大空襲」の悲劇の上にあることを忘れるべきでない。佐藤弘弥 06.3.13
東京大空襲の犠牲者を悼む五首
語らずに分かる歴史のあるものか
東京大空襲記念日の今日
ルメイといふ人物叱り罪憎みアメ
リカ恨まずの気高さかな
亡くなりし人の無念や底知れぬ悲
しみの夜の記憶刻せり
物言へぬ大空襲の犠牲者の涙はい
まも墨田川ゆく
悲しみをあへて平和と生き直す戦
後日本の礎の夜
2006.3.13 Hsato
義経伝説
義経思いつきエッセイ