何故ひん発するのか・知事の犯罪?!


-相次ぐ改革派知事逮捕に思うこと-


 
本日(06年11月16日)改革派知事と見なされていた和歌山県知事が逮捕されるというニュースを聞きながら、「またか?!」という 声を思わず発してしまった。福島県知事に続き、エリート官僚出身の人物が、踏み越えてはならない一線を越えてしまったのである。

和歌山県の木村知事も、先の福島県佐藤知事も申し分のないキャリアを積み、見識もある人と見なされ、知事に就任したはずである。それが今回のように相次い で逮捕されるとなると、その背景には、強大な権限を持つ知事という権力機構をめぐる人間の生々しい欲望のドラマがあったということになる。

そもそも選挙というものは、各人各様のの主張をもつ選挙民が自分たちの考えを地方議会や国会に反映してもらうためにあるものだ。そんな生々しいのが選挙で あるが、それでも選挙というものは、今日の民主主義の原点でもある。ただ今回のように、一線を踏み越えて、特定の組織や企業に便宜をはかったというのであ れば、選挙民はその冷厳な事実を踏まえ、目覚めなければならない。そして二度と同じ過ちを犯さないような仕組みを作るしかないのである。

和歌山県木村良樹知事(54)は、旧自治省の出身ということで、言うならば地方自治のプロである。そのプロ中のプロが、情実によって工事の受注に際し特定 の企業に便宜をはかっていたというのであるから、例えるならば「ミイラ取りがミイラに」というよりは、警察官が泥棒探しているうちに、思わず留守宅を見つ けて泥棒に変身してしまったような感じの事件だ。

言ってみれば、知事の座というものが、それほど魅力的な仕事なのだろうか。いやそれとも、お金が掛かりすぎる余り、当選するためにはどんなことをしてもと いう誘惑にかられてしまうのであろうか。はたまた、権力の座にいることで、自分がどんなことでもできるような錯覚に陥ってしまうのであろうか。

ともかく、今回のようなことが各地で起こるのは、県政をチェックするオンブズマン制度のような仕組みないために起こるということだろう。オンブズマン制度 を強力に進めた宮城県の浅野知事も改革派知事と呼ばれた知事であった。確か彼も3期12年に渡って知事の座にいたが、談合疑惑や便宜供与のような話はな かった。

ここまで知事の不正が相次ぐと、個人の資質という以上に、不正を事前に防止するシステムの構築が必要になるはずだ。ただそこで、「談合は悪い。直ちに無く せ」というのは簡単だが、地方の場合は、特にもし談合なるものが、一切無くなって、同じ土俵で、大中小の建設業者が、ひとつの工事を競った場合は、資金力 と技術力に圧倒的な力の差があり、大手ゼネコン業者が、根こそぎすべての工事を受注してしまうに違いない。では、中小の業者は、連合してゼネコンと戦うし かなくなる。しかしそれでも中央のゼネコンに負けてしまうことになるはずだ。談合が納税者にとって許せない一番の根拠は、談合によって、100で済むはず の工事が120にも130にも膨らんで決済されてしまうことだ。今後は、適正な工事価格と受注額の乖離を納税者としての市民が常にチェックを加えること で、法外な価格を抑えることも可能である。その上で公正な形で、各業者が工事をシュア(分担)するような仕組みも考えられるかもしれない。

地方では、県会議員の多くが、土木や建設業者の経営者で占められている。ここにも政治力を発揮し、自己の会社の経営の安定をはかろうとの思惑が見え隠れを している。まあこれも公正な選挙を望むまっとうな選挙民の不信感を募らせる要因ではある。

結局、知事の座る玉座というものは、利権を欲する人間たちの頂点に位置していることになる。誘惑も人一倍だ。どんな聖人君主でも、魔が差すような瞬間もあ るだろう。地方財政がひっ迫していることも今回の不正談合の奥にはある。そこで3期以上の多選をさせないというのも、ひとつの考え方だ。しかし今回の和歌 山県知事の場合は、2期目の途中で起こってしまった。

こうなると納税者の私たちができることは、やはり当事者が不正を起こす気持ちにさせないようなしっかりとした監視体制を確立することが第一義だ。そのため には情報公開条例の吟味も必要だ。その上で市民がオンブズマン制度などの導入により県政を逐一厳しくチェックし、選挙においては、少しでも疑いのあるよう な人は、立候補させない、立候補しても絶対に投票しないという強い意志を持った投票行動をする。それ以外にはないと思われる。



2006.11.17 佐藤弘弥 

義経伝説
思いつきエッセイ