あとがき

 

 
大宮市の友人渋谷憲夫氏から毎月彼の主宰する歌誌「ひかり」を送られていたので、その返礼の意味もあり折りにふれて栗駒の雑話を投稿していた。

それは栗駒山麓の山々で杉や松の苗木を植えながら、下刈をしながら、あるいは田植えをしながら、苗取りをしながら、年寄り達から聞いたのを、ノートの一片や、便箋に書き留めたもので、読み返しもしないままの書捨てのものであった。

それがいつの間にか四十話余りに及んだ。それは他愛もない話しであり、なんの役にもたたないものであっても、百姓仕事のきつい労働と、些細な心配ごとの忘却には役立ち、日頃の近隣とのトラブルを解消するきっかけをつくるに役だったりもした。

とくに性に関する話しは、若者達の生活に活動力となり、年寄達にはたのしい回想であった。これらを百話に成したいものだと考えて見たがならなかった。

この辺でまとめてはと憲夫氏が原稿用紙に書いてくれた。

これを聞いた河北新報の杉山忠資氏やその他の人々から出版をすすめられてきたがなかなかふんぎりがつかず、今回ようやく出版に踏み切ったのは、仙台市の栗田稔氏と横田義雄先生の力強いはげましによるものであり、かえりみておこがましくまた恥かしい次第でもある。今はただこの一文が栗駒山麓に住みついた吾々の先祖のくらしをしのぶに役だつことを深く願うばかりである。

なおこの拙い私の文章に序文をお寄せいただいた岩崎敏夫先生と宮本常一先生の御芳情と、題字を賜りました現明治大学理事長の渡辺政人老先生の御厚意は私にとって終生の感激であり、深く御礼申上げる次第である。

また、印刷については栗駒町出身である創文印刷株式会社々長熊谷浜冶氏の商売ぬきでのお世話を受け、出版に至るには栗駒町役場主事棟形泰典氏と沼ヶ森生産森林組合長菅原栄作氏の御力添えをいただいたことを記して感謝の意を表するものである。

昭和四十三年梅天に

千葉光男

 



 

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2002.4.24