マザーテレサの人生訓

 
 

1997年9月6日、マザーテレサが、インド、カルカッタの自ら創設した修道院で亡くなった。テレサの最後の言葉は、「もう息ができないわ」だった。文字通り、その人生の最後の最後まで、貧しい人のために、全てを捧げて、息絶えた87年の胸打たれる人生であった。

それにしても私が納得できないのは、派手なダイアナ報道に押されて、マザーテレサの人生の価値と意味が、正しく伝わって来ないことである。我々は、本当に大切なものと、そうでもないものを、見分ける目を持たなければならない。我々人類にとって大事なのは、ダイアナの派手なパフォーマンスではなく、長年人類に対する限りない愛を貫き通したマザー・テレサの献身的な愛なのである。

一般の日本人は、マザー・テレサといっても、まずどこの国の人で、どんなことをした人かさえ知らない人が多い。 マザー・テレサは、インドを中心に活動しているがインド人ではない。彼女は、1910年、アルベニア人の両親のもとに、マセドニア(現在のボスニア地方)に生まれた。父は建築会社を共同経営する事業家だったが、彼女が9歳の時に亡くなった。本名はアグネス・ゴンハ・ボジャヒューである。

幼い頃から、信仰に興味があり、ボランテアなどもしていたアグネスは、18歳でインドの修道女のレポートに触発されて、信仰に生きる決意を固める。そして1928年、アイルランドの修道院で一年間修行した後、インドのダージリン地方にある、ロレッタ修道院へ移ったのであった。それから少しして首都カルカッタに移り、地元のハイ・スクールで、教鞭をとり始める。そのカルカッタでテレサは、貧しい人々(路上生活者や捨てられた子供たち)の苦しみを目の当たりにする。彼女の中で何かがはじけた瞬間であった。

1931年に、16世紀のスペインに実在した聖女テレサにちなんで「シスター・テレサ」と名乗るようになった。1946年には、教職も辞して、本格的に貧しい人々のためにスラム街で働き始める。そして二年後(1948年)には、ついにカルカッタに修道院(神の愛の宣教者会)を設立するまでになった。この時に選んだ修道服が、後に彼女のトレード・マークともなる、青い横縞の入った、白い簡素なサリーである。1979年に、長年の彼女の功労が認められて、ノーベル平和賞を受賞した。彼女は、当然のように、多額の賞金もすべて彼女の主宰するボランティア活動に寄付している。

マザー・テレサのこの強烈なエネルギーは、いったい小柄な彼女のどこに秘められているのだろう。彼女にしてみれば、目の前の貧しく、教育もなく、飢えて、死に行く人々を見て、何とか救おうとしているだけなのかもしれない。このマザー・テレサのやさしい心こそが、まさに愛そのものであり、世界中の人々が彼女に心から共感を覚える本質なのである。

今や彼女の主宰する修道院(神の愛の宣教者会)は、全世界25カ国にネットワークを持ち、彼女の精神を受け継ぐ敬謙なシスターたちによって、今後も、その活動は、更に広がりをみせていくはずだ。彼女の肉体は死んだが、その精神は永遠に生き続けていくのである。

彼女は、しばしば言っている。「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、愛を持って接することだ」と。我々はともすれば、ボランティアやマザー・テレサの活動を別世界のことのように考えているところがある。自分の身の回りにもたくさんの愛を必要としている人々が存在しているのだ。マザー・テレサの冥福を祈りたい。佐藤
 


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1999.9.9