人の心の本質

「転移」という感情


 

心理学の言葉に、転移というものがある。転移の厳密な意味は、ある人が精神科のところに通院し、精神分析医に色々な悩みをうち明けているうちに、その人の内面にある怒りの感情や愛情が、医者に向けられていくことである。

転移とは、自分の内面が、次第に浮かび上がってきて、鮮明になってくることであり、心が癒されていく過程で現れるとされる。

考えてみると、人間は、自分の心の悩みやストレスなどを転移ではないが、転移的な発想で解消しているところがある。友人との雑談や旅行、スポーツや映画などは、みなこの類(たぐい)である。しかしその人の悩みやストレスは、そのまま心の中に残っているのであり、根本的に解消されているわけではない。つまり、誰の心にも癒されるべき心の状態は存在するのである。

あえて結論から言えば、人間の内面は一本の糸に過ぎない。しかし、誰もが人間は自分の心を複雑な構造物だと錯覚している。それは我々の心の中で、余りにも複雑に糸が絡み合っていることから起こるのである。ひとつひとつの結び目は、嫉妬や不安、愛情や憎しみなどのような感情そのものである。このように複雑に絡み合った状態を心理学では、コンプレックス(複雑性)と呼ぶ。コンプレックスと言うと、人はとかく劣等感という先入観があるが、心理学では、複雑にこんがらがっている心の状態をそう呼ぶのである。

しかしどんなに複雑に見えたとしても、元々心は一本の糸にすぎない。一本に過ぎないものを、複雑に、しかも意味あるものに考えているところに、人間の重大な錯覚があるのである。

2千五百年前にブッダが悟った事とは、この一本の糸の真実なのである。彼は菩提樹の下で瞑想しながら、自分の心の中の複雑に絡み合った糸を、一本、また一本とほぐしていった。すると、なんだ、自分が複雑に考えていたものは、実は一本の糸でしかなかったのか、という真実の姿だったのである。

じっと自分の内面に心を集中していると、これまで考えられなかったような現実が見えてくる。人の心の中は、一見どんなに複雑に見えようとも、それは見かけに過ぎない。人間は、元々物事を複雑に考えてしまう習性がある。暗闇でみれば、一本のロープも蛇に見え、小さな木もお化けに見えてしまう。

もしあなたが訳もなく、ある人間に怒りの感情や逆に愛情のようなものが芽生えたとすれば、それも一種の転移の感情である。誰でもよくその人間をみると、理由がないのに腹が立ってしまうという奇妙なことがある。その自分の感情を、良く見つめ、分析できるようになればブッダのように自分の心の本質に触れることができるようになり、人の心の中の深い傷や複雑な感情も理解できるようになるはずだ

人の心は単純である。そこには何もない。仏教ではそれを称して空と呼ぶのである。佐藤


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1997.7.28