七夕の由来

 

今日七月七日は、「七夕(タナバタ)」の日である。七に夕と書いて、何故タナバタと読ませるのか?はなはだ疑問である。よく調べて見ると、本来タナバタは、棚機(たなばた)と表記したようだ。こうなると、どうも七夕は機織(はたおり)と関係がありそうだ。

それにしても日本人は、七夕が大好きだ。仙台の七夕祭りは、余りにも有名だが、万葉の時代から、日本人は、夏の夜空を眺めながら、牽牛星と織女星の年に一度の逢瀬(おうせ)を限りない感傷を持って眺めていた…。

万葉集にこのような歌がある。

   彦星の妻よぶ舟の引綱の絶えむと君をわが思はなくに(万葉集 巻十)

(解釈:彦星が年に一度の逢瀬に行くために、妻の織女星の名を声を限りに叫んでいる。引いている牛の歩みがもどかしく、手綱切れそうになっているではないか。私だってそのようにあなたのことを思っているのだよ)

昔の郷ひろみの歌に「会えない時間が愛育てるのさ」(よろしく哀愁)という流行歌があった。普段会えないという彦星と織女的な関係が、実は、七夕に対して日本人が、ことさら感傷的になる大きな要素かもしれない。

もちろんこの彦星と織女のエピソードは、中国の神話である。元々二人は、仲の良い夫婦であった。それが仲が良すぎるあまり、彦星は田畑の耕作をさぼり、織女は機織(はたおり)を怠るようになった。それを怒った天の神さまが二人を引き離してしまったのである。但し年に一度だけ、七月七日の七夕の夜だけ、逢っていい、ということにしたのである。

こう考えると、この七夕のエピソードは、どうも寓意的な神話であるようだ。つまり、

あんまり仲良しの夫婦でも、仕事をさぼって、二人の愛にばかりかかずっていると、そのうち天罰を受けて、逢えなくなる、ということにもなりますよ。だから自分に与えられた仕事はさぼってはなりません。

古来より、機織という仕事は、その土地に莫大な利益をもたらしたはずである。民話「夕鶴」の鶴だって、夫のためにせっせと自分の羽を紡いで、夫に恩返しをするという筋立である。日本の七夕祭りは、そうした機織に一種の畏敬と感謝を込め、しかもさぼってはいけませんよ、という寓意を込めた祭りとして始まったと考えられるのではあるまいか。

確かに七夕祭りで有名な場所と言えば、仙台や群馬の桐生などが上げられるが、これらの地は、いずれもかつて紡績が盛んな土地柄であった。

さて今夜、天空に、彦星と織女の逢瀬は見られるだろうか。台風よ。無情の雲を吹き散らせ!!佐藤
 


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2000.7.7