高橋尚子の復活と山岡鉄舟
ー新旧 日本女性の活躍に思うー

05年11月20日、早朝、15才の浅田真央がパリで開かれたフィギユアスケートグランプリシリーズ第四戦で優勝の快挙をインターネットニュースで知っ た。テレビを付けると、トリプルアクセル(三回転半)を軽やかに跳ぶ彼女が映っていて、天使か妖精が氷上で遊んでいるような雰囲気だった。

同日、昼には、高橋尚子の東京国際マラソン挑戦を我が身内のことのようにして観戦した。何しろ二年ぶりのマラソンで、しかも猛練習の結果、肉離れが判明 し、背水の陣でのレースである。いつ痛みが出て、最悪の結果が出ないとも限らない。その為か、心なしかその表情は青ざめて見え、歩幅もいつもよりかなり、 小さくなっているように思えた。

高橋の真骨頂は、誰も追いつけないようなスピードでギアチェンジをし、相手を突き放して勝利するところにある。ところが今回は、ペースメーカーにピタリと 付いて動かない。結局高橋はこのまま競技場の中まで我慢して、最後のスプリント勝負に賭けるのか、と思われた。

しかも三年前の悪夢が思われた。あの時、独走かと思われた高橋は37キロ付近で失速。エチオピアのアレムにあっという間に抜かれ、二時間27分台の平凡な 記録で二位となり、アテネオリンピック出場も逃がしたのであった。

三年前のあの日、私は京都の鞍馬山を歩いていた。たまたま手に携帯テレビを持っていて、貴船付近で、高橋がアレムに抜かれるのを目撃した。今日もそのアレ ムが走る哲学者と呼ばれたエチオピアの英雄アベベ・ビキラ(1932ー1973:ローマ五輪、東京と五輪マラソン二連覇)を女性にしたような風貌で淡々と 高橋の側を走っている。

今年の11月19日、私は京都にいた。この日は別に縁起を担いだわけではないが、鞍馬山には行かず、蹴上の琵琶湖疎水の周辺を散策した。そのまま京都に泊 まっても良かったが、最終の新幹線で東京に戻ってアスリート高橋の競技生命を賭けた一戦を観戦しようと思ったからだ。

「人が命を賭けている姿は見るべきだ」という言葉が耳に残っている。この言葉は、ずっと前に、渋谷の教会で講演を行った際、吉本隆明氏が言ったものだ。以 来私は、人が命を賭けて何かに取り組んでいる姿は、敬意を払って拝見するクセがついてしまっている。考えてみれば、たかがマラソンである。しかしされどマ ラソン。一度は勝利の女神に祝福された才能あるアスリート高橋尚子の生き様を見逃すことはできない。しかも最近の高橋には、限界説がささやかれ、経験を生 かしてコーチになるべきとか、女性としての幸せを掴んでも良いのではないかという見方もある。

しかし今年の6月、高橋は、これまで10年間二人三脚で歩んできた小出監督のもとを離れて、自らでチームQを立ち上げ、文字通りリスクを背負ってゼロから の出発だった。もしも肉離れが、競技中のどこかで発生し、走るのを止めたならば、それこそマスコミはここぞとばかりに、声高に高橋限界説を云って、強引に 高橋を引退に追い込んでしまう可能性が強い。いかに意思の強い高橋だとしても、その場合は、大好きな競技生活にピリオドを打つしかない。要は、「チーム Q」に集う人々の人生をも背負って高橋は走っているのである。

こんな時、人はほんとうに強くなれる。以前のように、42.195キロを、高橋は、ただ好きで走っているのではない。周囲の人の心遣いに感謝し、かつその 人の努力を無にしてはならないと思って走っているのである。そこに彼女の走りに崇高な精神が見え隠れしているのである。

「火事場の馬鹿力」という下世話な言葉がある。高橋のような天才アスリートに対しては失礼かとも思うが、敢えて今回の高篠走りには、どのような人間も魂の 内に持っている火事場の馬鹿力の出し方を教わったような気がした。

多くのアスリートは、この火事場の馬鹿力を発揮しない内にたいていの場合引退に追い込まれる。そして世間の目は、意外なほど冷たく、新しい才能ある選手が 現れると、古い者は雑巾を捨てるように見向きもしなくなってしまうのである。

そんなマスコミや世間の目とも高橋は戦っているのである。

テレビを見ていると、コマーシャルが頻繁に流され、観戦の気持が削がれる。そして37キロ過ぎ、高橋は猛然とスパートを掛けている姿が突然映し出された。 あっという間に、アレムを含む二選手は離れてゆく。それにしてももの凄い勢い。アクセルを思いっきり踏んだような感じだ。12秒、15秒、20秒と後続と の距離は、100m以上に離れていった。それでも高橋は、体を捻りながら、後ろを何度となく振り向いた。おそらくこの時、3年間の悪夢が、高橋の中でトラ ウマとなって、攻め続けていたのであろう。間違いなく、あの時のアレムに抜かれた幻影が、高橋を苦しめていたに違いない。

禅の立場で考えれば、それは己の影に脅えていたに過ぎない。言葉では簡単だ。かつて明治の剣豪山岡鉄舟
(1836−1888)は、どうしてもあるライバルの前に立つと、 相手の木刀の先が大きく見えて、そのことを考えただけで脂汗が出るといった思いから抜け出せず悩んでいた。その時、天龍寺の僧、滴水禅師(1822ー 1899)から、次のような公案のヒントをもらった。
両刀交鉾不須避、好手還同裏蓮、宛然自有衝天気」(両刀、鉾を交え て避くるをもちいず、好手還りて火裏の蓮に同じ。宛然おのずから衝天の気あり」

この言葉を得て、山岡は何度も、考え、考えては座る。そして3年有余の歳月が流れた。ある夜、脳裏にライバルの木刀の先を思い描くと、天地の間には己の気 以外に何ものもないのだ、という気持になった。鉄舟は、そこで自分の弟子を呼び、立ち会いを試みた。すると、何と相手は山岡が少し、切っ先を動かしただけ で、「先生、この辺で勘弁してください」と叫んだということである。鉄舟は、この時、禅でいうところの「悟り」を得たのである。そして先の公案の意味が、 「天地の間には、己の気しかないと思って腹を据えなさい」という単純なものであることを知った。しかしこのあまりに単純な言葉でも、それを心で実感するに は、山岡のような天才でも、数年を要するのである。

その意味で、本日高橋は、まさにアスリートとして、また人間として別の次元の意識ポジションに立ったということになる。今後高橋尚子が、アスリートとして どこまでやれるかははっきり言って未知数である。しかし日本女性が、己の魂の限界に挑戦し、それを成し遂げつつあることには大いに意味があると私は思う。

さて勝利の女神とは、気まぐれなもので、フィギュアの浅田真央のように、圧倒的なポテンシャルを示してデビューした高橋尚子も、シドニー五輪の金メダル以 降、苦しみに苦しみを与えられて、今の次元に立っているのである。彼女が、最後に語った「マラソンに限らず、暗闇の中にいる人たちに、夢や身近な目標を もって努力すれば、報われると伝えたい。その人たちに少しでも勇気を与えられたらうれしい。今日はみんなの力に押されて走れました。ほんとうに楽しい42 キロでした」という趣旨の言葉は、心にジンと来るものがあった。
苦しいを楽しいと言い換 えたアスリート高橋尚子のセンスに心からの敬意と、神に祝福を受けて、高い次元に登りつつある浅田真央の才能にも敬意を表したい。

最後に、若きアスリート浅田真央は、どうしても五輪に出場する資格を与えられるべきである。その根拠は、五輪競技のモットーは、各分野で世界最高のアス リートを決める競技の場であるから、もしも世界最高の技術を持つ浅田を参加させないというのは、五輪の精神に合わないことになる。よって五輪出場規定が 二ヶ月満たないから、出場できないというのであれば、五輪精神は逆に、傷つけられてしまうであろう。日本オリンピック委員会も、世界の五輪委員にそのよう に主張すべきである。

2005.11.21 Hsato

義経伝説