古代への情熱

シュリーマンの人生


諦めさえしなければ、人生に失敗はない。」と言っている人物がいる。

その人は、ハインリッヒ・シュリーマン(1822 〜1890)というドイツ人である。トロイア遺跡の発掘で世界史上にその名を残す偉大な考古学者である。しかし彼は、考古学に関する高等教育を受けたエリートではない。彼の素晴らしい生涯を見て行こう。

シュリーマンは、1822年、北ドイツの小さな町で、貧しい牧師の子供として生まれた。彼の生涯の転機は、8才の時、父親から、一冊の本をプレゼントされたことによって始まる。その本の題は、「子供のための世界歴史入門」(イェッラー著)であった。この本には、古代ギリシャのトロイア戦争のことが挿絵入りで書かれていた。父親が読んでくれた本の内容に、異常な興奮を覚えたシュリーマンは、子供ながらに、トロイア戦争の物語は、ただの想像上の出来事ではなく、すべてが実際にあった事件であると子供ながらに確信した。そして父親に将来必ず、自分がトロイアの遺跡を発掘して見せると、約束したのである。

しかし人生は、シュリーマンが考えるほど、簡単ではなかった。家は貧しく、その上9歳で母を失ってしまった。学問も受けられないまま、シュリーマンは14歳で、小売店の見習として働くこととなった。しかも朝の5時から夜の11時まで働く生活が5年間続いた。この無理がたたって、彼は病気になり、せっかく得た仕事場を解雇されてしまう。蓄えていた資金は底を付き、シュリーマンは、人生最大のピンチに立っていた。

その後、彼は再起を期して、オランダに渡り、必死の思いで、アムステルダムの貿易会社に就職した。そこでシュリーマンは、努力を重ね、英語、フランス語、ロシア語を次々にマスターしていく。そして何よりも信用という財産を築いた。

その2年後、ついに念願の独立を果たすこととなる。それからの彼の人生は、まさに順調に推移していく。商売をアメリカ、ロシアにまで拡大し、確実に財産を蓄積して行くことになる。

その間でも、彼は幼い頃に父と約束したトロイア遺跡の発掘の夢を片時も忘れなかった。いやむしろ、彼はその夢の実現という大目標があるために、どんな逆境にもへこたれずにどんな辛い仕事にも耐えることができたのである。

その頃の、彼の努力は、異常ですらあった。端から見れば、「なんであいつは、あれほど頑張れるのだ?」と思う人間もいたと言う。彼は、商売を広げるために、スウェーデン語とポーランド語を身につけ、遂には、最終目標であったギリシア語もマスターするに至った。

その後1868年になってきっぱりとビジネスから足を洗って、莫大な財産を手に、トロイアの遺跡発掘に全力を傾けることになる。その時、シュリーマンは46歳となっていた。いよいよ父との約束を果たす時が迫っていた。すでに父と約束した日から、39年の歳月が流れていた。

さて、そんなシュリーマンのトロイア遺跡発掘計画に対して、考古学の専門家は、シュリーマンを誇大妄想家と嘲笑した。それでも彼は信念を貫き、当時トルコに併合されていたギリシャの遺跡発掘の許可を得て、世紀の発掘の事業に取り掛かるのである。実際に発掘に取り掛かったのは、71年10月というから、シュリーマン、49歳の秋であった。

地元の人々を120人も雇い、彼は発掘に全神経を集中した。様々な苦難の末、、彼の幼い頃の直感は見事に証明された。シュリーマンは、ギリシャ近代史上最大の発見を、たった一人の情熱で成し遂げたのである。その後も、彼は、ミュケーナイ遺跡を発掘し、ティーリュンスの遺跡など、エーゲ海文明発見の最大の功労者となるのである。シュリーマンの自叙伝「古代への情熱」を読めば、まさに彼の情熱に触れることができる。

シュリーマンの人生を振り返ると、人生において、いかに目標の設定というものが大切であるかを思い知らされる。彼のビジネス上の成功も、やはり幼い頃の夢であるトロイアの遺跡発掘という絶対的かつ強烈な目標があって初めて実現したのである。シュリーマンに限らず、誰の人生においてもその成功の鍵は、正当な目標を、いかに設定するかにかかっていると言えそうだ。佐藤
 


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1998.4.7