スイート・ルーム・イメージ

 
スイートと言ったところで、松田聖子の「スイートメモリーズ」を語る訳ではない。自分の頭の中の整理方として、一流ホテルのスイートルームのイメージを活用しようと言うのである。

頭の中は、整理するという作業は、容易ではない。第一毎日毎日、不要とも思える情報が、山のように我々の頭の中に入ってくる。丁度それは、集積場に、集まってくるごみの山のようだ。でも人はそれが日常となると、自分がごみの山にいることに気づかなくなる。平気になる。気づかないうちに、自分の頭の中は、情報のごみ捨て場と化している。だからひとつの何でもない情報を捜すのも大変だ。あっちにあるかと思えば、こっちにあったりして、つまらない仕事も、大仕事のように見えてしまう。

一方もしも、常に頭をすっきりと、整理して、丁度一流ホテルのスイートルームのようにしていたとしたら、どうだろう。無駄なものは、一切置かず、北欧家具に、広めの応接セットでも、どっかりと置いて、何かあったら、ルームサービスにでも、頼んで持ってきてもらうイメージだ。だからたまったごみは、その日のうちに捨て去って、壁に掛けたビュフェの絵でも、のんびりと眺めて、心静かに一日を終える。そこには何もない。だから大変な仕事をしながらも、スイートルームにいる人は、仕事なんてしていないようにも見えてしまう。

この違いは、どうしたことだろう。たいていの人は、ほとんど、上のようにごみの山に暮らすことに慣れてしまっているはずだ。くだらないテレビのくだらない情報に、自分の狭い頭の中が占拠されているのが現実である。眠りはこの溜まりに溜まった情報のごみを整理するためにある脳の休息である、との考え方がある。それでも、情報のごみによって、我々の頭の中は、常に収集不能な状態に置かれてしまうのである。

考えて見れば、2五百年前にブッダが、目指した「心の平安」という境地は、次々に溜まってしまう頭の未整理状態から抜け出して、心を静かな状態に保つということだったのではあるまいか。大事なことは、頭の中を自分で、常に整理して、一流ホテルのスイートルーム状態にできるか、どうかだ。くだらないテレビや、仲間とだべってばかりいては、ごみ洪水の中から、己を解放することなど、できるはずはない。佐藤
 


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2000.5.15