出る杭を打つ国・日本

千葉すずガンバレ


 
 

オノヨーコがかつてインタビューの中で、このように言ったことがある。

日本という国は、才能ある人が出てくると、出る杭を打つ、というか潰してしまうところがあります。だから私は、外国に出ることにしたのです」オノヨーコのこの決断は、正しかった。当時から前衛的な作品を発表していた彼女は、アメリカのニューヨークに渡り、好意的な評価を得た。またイギリスでも個展を開催し、たまたまそこに訪れたジョン・レノンと知り合って、互いにかけがえのない人生のパートナーとなるのである。

確かに、もしもオノヨーコが日本に居続けたとしたら、今日のような彼女の芸術家としての世界的評価は得られなかったであろう。彼女が言うように、日本は全体として変わった感覚の人間を忌み嫌う傾向の強い社会である。日本では「変わっている」ということはけっして褒め言葉ではない。「人と違う」のではなく、「人と同じ」であることを無言のうちに求められる窮屈な社会である。飛び抜けた才能があったり、変わった発想をする人間は、日本社会からは当然の如くにはじき飛ばされることになる。

この現実は、今も昔も変わらない。それが嫌でオノヨーコは出ていった。同じ問題で、今そのまっただ中で苦労をしているのが、水泳界の「千葉すず」というアスリートである。十代半ばで、天才スイマーとして登場した彼女であったが、多少言動に生意気に思われるところがあった。それでも過去二度に渡って、彼女はオリンピックに出場したが、思わしい成績は上げれなかった。精神面の弱さが指摘され、彼女は傷心のままアメリカに渡って、コーチ学を学んでいた。彼女は、子供達にトレーニングを教えているうちに、泳ぐということの楽しさを見つけた。そしていつしか「又現役に戻ってやってみよう」という気になっていた。

そして昨年の全日本の200m自由形で、素晴らしいタイムを出して優勝を飾り、一躍オリンピックの有力選手ということになった。そして今年のオリンピック代表を決める日本選手権では、優勝しオリンピック標準記録を破ったにも関わらず、代表には選ばれなかったのである。確かに彼女は口が悪い。レース後、彼女は「私はこの日の為に努力しているのではない。オリンピックでいい成績を上げるために努力しているのです」と自分の平凡なタイムに憮然とした態度をとってしまった。

でも考えてみれば、彼女たちは、そのことにそれこそ青春を犠牲にするどころか、命がけで水泳に取り組んでいるのだから、そのくらいのことは、大目に見ても良さそうなものだ。いいではないか。ところが水連のお年寄り達は許さなかった。「すずは生意気」「他の選手に失礼だ」「日本選手権を何と思っている」との反発を喰らって、彼女はついにオリンピック代表には選出されなかった。このことは、各全国紙誌上でも、水連の「好き嫌い」人事として揶揄されている。千葉すず側は、選出の選考過程を明らかにするように、文書で水連に要望したが、うやむやのまま現在に至っており、業を煮やしたすず側は、ついに国際的なスポーツの調停機関に問題を提訴する構えである。

私は、どこまでも「千葉すず」という個性あるアスリートを支持する。生意気というが、世界のトップと争うアスリートが、おとなしくてどうすると言いたい。たったひとりで、日本水泳連盟という日本社会の縮図のような組織と闘う千葉すずガンバレ。大体、日本のスポーツ界ほど、保守的で内向きの政策をとっている組織はない。日本のトビウオだか、なんだか知らないが、古橋某よ、80才にもなって、いつまで日本水泳連盟を牛耳るつもりなのだ。佐藤
 


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2000.5.29