義経伝説ホームへ

義経エッセイINDEXへ
 
 

捨て牛騒動に思う


 


新年早々笑えない事件が日本中を駆け回っている。
馬の年に何と「捨て牛」の話である。昨年暮れに、確か埼玉で、二頭の牛が町中を走っていて、それが捨て牛事件の発端であった。正月明けの七日早朝、今度は熊本で六頭もの牛が、かつて虎退治で名を馳せる加藤清正公が築城した名城熊本城を走り回っていたというのである。三時間もの格闘の末、牛たちは無事収容されたが、その腹には、スプレーで、「NO BSE」(狂牛病のこと)、「小泉HELP」「能なし タケベ」(武部農水省のこと)などの文字が描かれてあった。

もちろんこれは、狂牛病の風評によって、牛肉の価格が暴落したことによって、たち行かなくなった牛農家の抗議の表明という説が濃厚だ。今や、牛の価格は暴落し、市場では親牛で数万円、子牛では何千円の世界だといわれる。これではえさ代にもならないということで、帰り間際にこっそりと、他人のトラックに、牛を結わえ付けて帰る、などという笑えない冗談までが、牛農家の間では飛び交っているというのだ。

昨年九月の狂牛病の牛が発見された時、日本の牛農家を取り巻く経営環境は一変した。たちまちのうちに、牛肉価格は暴落し、牛農家は窮地に立たされたのだ。その前には、焼き肉ブームなども手伝って、柔らかい和牛が、最高の味覚として重宝されてきた。
一〇年ほど前にイギリスで起こった狂牛病も、農水省は日本の牛は安全と公言して憚らなかった。それが一転、肉骨粉が、いつの間にか、日本にもイギリスから輸入されていて、各地の牛の飼料として紛れていたというのである。これは、誰がどうひいき目に見ても、行政の間違った対応が招いた人災そのものと言われても仕方ない。イギリス政府は、日本にもアメリカにも同じ情報を与えていたと言っており、現にアメリカ当局は、いち早く肉骨粉を廃棄したために、今回の日本のような狂牛病渦はまったく起きていない。

行政というものは、何もなく、褒められもしないのが、最大の賞賛なのである。今回の狂牛病渦を見ながら、つくづくと日本の行政当局のお粗末な対応に対して無性に腹が立っているのは、牛農家だけではあるまい。日本国民の食文化が大きな岐路に立たされていると言っても過言ではない。しかもこの事件は単に一農水省だけの問題ではない。今でもエイズ渦で苦しんでいる血友病患者の人々(これは厚生省)を思うと、日本という国家のシステムが制度的に多くの問題を孕んでいることの証明なのである。政治家と官僚は、このような一連の事件から、教訓をしっかりとくみ取るべきではあるまいか。自分たちのお粗末過ぎる対応が、自国の国民に多大な災禍をもたらしている現状をしっかりと認識すべきではあるまいか。

正月我が家では、すき焼きに焼き肉と、牛肉づくしの正月であった。少しでも牛に携わる人々の苦しみを共有したいとのささやかな食材の選択であったが、どこかで「こんなに食べて大丈夫かな」という不安があるのも事実だ。一日も早く、そのような不安が解消されて、美味して安全な食材としての牛肉が食卓に上る日が近からんことを祈りたいものだ。

 捨て牛の悲しい逸話冗談と笑い飛ばせぬ飽食日本

佐藤

 


2002.1.9

義経伝説ホームへ

義経エッセイINDEXへ