時津風部屋力士死亡事件の深き闇

− 国技相撲界消滅の危機−



 17歳の若い力士が、場所前にリンチ(?)を受けて殺害されるといういたましい事件が起きてしまった。まったく前代未聞の不祥事であ る。


 1 不可解な死亡原因の変更

この事件は、時津風部屋の若い力士が、名古屋場所前(07年6月26日)の稽古中に不可解な死を遂げたというものだ。はじめこの死亡について、部屋の関係 者により「事故」として処理されようとしたようだ。ところが、遺族の機転によって、3ヶ月を経た今「事件」として立証されようとしているのである。

それにしても、このような事実が、ほとんど3ヶ月も放置されたまま、今このタイミングで公になったは、まったく解せないことだ。一人の前途ある17歳の若 者が亡くなったのだ。

ここまで問題の処理が長引いてしまった原因は、愛知県警が、相手が国技の相撲界ということで、当初から事故として処理しようとした思いこみにあったのでは ないかと懸念する。

事件当日の6月29日。時津風部屋からの通報があり、救急車がやってきた。既に力士は死亡しており、全身には、稽古でできたとは思えないような外傷が残っ ていた。ここからが闇の部分がある。救急隊と病院側と警察署がどのように話しをしたのかは分からないが、通常であれば、不審なケガの状況となれば、検死や 司法解剖がなされのが普通だ。ところが当初、地元の病院が発表した力士の死因は「急性心不全」であった。それが後に遺骸が実家に運び込まれた後の行政解剖 の結果、「多発性外傷によるショック死」と変更された。

この死亡原因の変更には、相撲界を取り巻く、大きな構造的問題が横たわっているのを感じる。まず、急性心不全と診断結果を下した地元愛知県犬山市の病院の 問題だ。何故、正確な死亡原因を発表できなかったのか。国技ということで、国民的な人気のあることは分かるが、法治社会の日本で、犯罪の疑いのある屍体検 査は、もっと厳密でなければならないはずだ。

もしも、今回時津風理事長が、電話で遺族に申し入れたという「荼毘に付して遺骨をお持ちしたい。ついては任せていただけないか」ということが、現実に行わ れていれば、今回の問題は闇から闇に葬られていたことになっていたかもしれない。

今回の場合は、たまたま、親方の申し出を不信に感じた実家の父親の機転で、遺体を火葬にすることを拒んだことから、事故として葬られる寸前、事件として明 るみに出る切っ掛けとなったものである。

新潟の遺族は実家に運び入れたわが子の余りの変貌振りに、6月28日、新潟大学医学部に行政解剖を依頼した。その結果、「多発外傷性ショックによる死」と いう死亡原因が浮上したのである。このことによって、一気にこの若者の死は、事故から事件の疑いが強くなったことになる。この発表を受けて、愛知県警も時 津風部屋周辺の捜査に着手して、今日のように事故から事件の疑いが濃くなっているのである。


 2 3ヶ月も事件が放置された不可解

当時、時事ニュースは、次のように報道していた。

「急死力士の遺族、解剖の結果に納得=大相撲

 大相撲の東序ノ口39枚目、時太山(17)=本名斉藤俊、新潟県出身、時津風部屋=が26日に愛知県犬山市の同部屋でけいこ中に体調不良を起こし急死し た問題で28日、新潟市の新潟大病院で行政解剖が行われた。

 これを受け、遺族は同日夕、新潟県警を通じてコメントを発表した。それによると、遺族は「行政解剖の結果を受けて、遺族としては結果に納得しました。こ れ以上、話を大きくしたくないので、取材については控えてほしいです。今後については、愛知県警の捜査に任せています」とし、解剖結果や通夜、告別式など についても話したくないとしている。 (6月28日 時事ドットコム )」

ここに来て、一気に報道が過熱し始めた。朝日新聞の取材に対し家族は、3ヶ月前(6月26日)夜のことについて語った。遺体については、「付添人もなく、 まるで犬や猫みたいだと思った」と。またその遺体は「バスタオルにくるまれた遺体をみて全身が凍り付いた。顔全体がはれ上がり、鼻、目、口、胸、腕など、 体中の至る所が木刀か何かで殴られたように傷だらけ」の様相だったという。(朝日新聞 2007年09月26日)

私は、この問題が、朝青龍問題事件発生以前に起きていたことに愕然とする。もはや日本相撲協会という組織は、当事者能力がないとしか言いようがない。時津 風部屋は、協会の組織の一部ではないか。その組織が、殺人行為に関わっていた可能性も極めて高い。極端な言い方をすれば、神聖な土俵を中心に据えた稽古場 はリンチ殺人現場だったことになる。


 3 事件の背景にあるもの?!

さて今回のような問題が起きた原因はどこにあるのだろう。その第一は、おそらく、相撲部屋への入門者が少なくなっていることが最大の原因ではないだろう か。各部屋には、幕下以下でも、頭数で一人年間186万円ほどの資金が支給されることになっている。時津風部屋は、現在確か15,6人の力士がいるという が、これに番付が上がるごとに、支給される額が増えることになるので、このように入門者が減っている現状では、今回の被害者のように、「止めたい。国に帰 りたい」と言えば、まず部屋の存立のためにも引き留めに入るような構造が、この時津風部屋に限らずあるのではあるまいか。

相撲界には、7月の入門者が確か一人もいないという散々な結果だったが、この事件がこのように明るみに出てしまったことで、今後ますます力士のなり手は、 減って行くことが予想される。

第二に、相撲界の稽古で「かわいがる」という言葉があり、何かあると「かわいがってやれ」と言って、通常は土俵で身体が動けなくなるまで、ぶつかり稽古を させ、立てなくなったところに、竹刀やほうきなどで、尻を叩き、あるいは口に砂を詰めたり、塩を詰めたりするようだ。これを今だによし、とする傾向がある が、もうそろそろ、このような風習をなくさなければ、現代における「かわいがり」はリンチそのものと少しも変わりのないものとなる可能性がある。ここで考 えなければいけないのは、「相撲界は特殊な社会だ」という私たち日本人の思いこみを変えることである。国技相撲界だからこそ、「日本国憲法」の精神に則っ た組織にならばければならないということである。


 4 「双葉山」の遺徳と伝統の重みを忘れた相撲界

時津風部屋は、69連勝の連勝記録を持つ史上屈指の名横綱双葉山定次(1912−1968)が起こした相撲界屈指の名門である。双葉山の現役時代は、年2 場所制だった。したがって、この69連勝は、昭和11年(1936)の春場所から昭和14(1939)の春場所まで、丸3年間負けていなかったことにな る。そして引退後は、日本相撲協会理事長に就任し、部屋別総当たり制など、とかく内向きの組織制度を改革し、名理事長とも呼ばれた。

後に部屋を継いだ大関豊山勝男(1937− )も時津風親方として1998年から二期4年間理事長の要職の座にあり、年寄名跡問題などの難問の解決に強い リーダーシップを発揮した親方だった。奇しくもこの人物は、今回死亡した若い力士と同郷の新潟県である。その後を継いだのが、現親方元小結「双津竜順一」 (1950ー )である。

相撲社会は古い社会である。しかし古いからと言って悪しき風習ばかりがあるわけではない。「家」でも「相撲部屋」でも、伝統の積み重ねによって培った「家 の格」、「部屋の格」というものがある。当主、あるいは親方というものは、その伝統を大切に引き継ぎ、次の世代に渡していく責任を負う。だからこそ、日本 人は、相撲界を日本の良き伝統を引き継ぐ「国技」として敬意をもって、税金なども免除される公益法人として認知してきたのである。


 5 恥を忘れた相撲界に未来はない

ところが、今の「日本相撲協会」の不様な姿を何と表現したらいいのだろう。悪い事をしてしまったということも、また恥じ入る気持も一切ないようだ。私たち 日本人が、これまで古き良き伝統と思っていた「国技としての大相撲」は、今や現代日本の恥部とも言えるような醜態を晒す有様である。にもかかわらず、相撲 協会の理事たちは、今自分たちの前で起こっている事態が、どのような非常識なことであるか呑み込めていないようだ。要するに当事者能力がないのである。こ の問題が、起こってから丸々3ヶ月間、内部からの動きが一切なかったことが、その何よりも証拠だ。

今回に限らず相撲界に対し疑問がある。日本の伝統の中には、長老の智慧という考え方があるが、これがいつも機能しないことだ。相続問題などで騒動を起こし た二子山部屋(貴乃花)の時も、先代親方である初代若乃花幹士(1928− )は、表に一切出てくることがなかった。今回でも先代時津風親方(豊山)は、 表に出て発言することがまったくない。これは一時良い意味の新しい伝統とも思っていたが、ここまで同じような沈黙が続くと、むしろ自浄作用のない封建的閉 鎖社会そのままに見えてくる。

本来であれば、この事件を踏まえて、協会内部から、反省の弁と改善の方向を、明確に社会に向かって発信すべきだった。9月27日、北の湖理事長は「1人の 力士が亡くなったということは重く受け止めなければいけない」と語っているが、協会の名門の親方が、このリンチ殺害に関与した疑いが大きくなっている事実 関係をまったく呑み込めていないとしか言いようがない。残念だが、もはや理事長以下相撲協会の理事は、この問題を重く受け止めるならば、総退陣をして、新 体制で、出直すくらいの気持がなければ、本当に相撲界そのものが、日本人の信頼を失って、「国技相撲」が消滅する可能性だってあることを知らなければなら ない。




2007.09.28 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ