05年大相撲秋場所を評す
相撲精神の国際化と琴欧州の活躍
05年9月25日、大相撲秋場所千秋楽は、 モンゴル出身の朝青龍(25)とヨーロッパブルガリア出身の琴欧州(22)との間の優勝決定戦となった、私は当然のように、若い琴欧州を応援した。

結果は、朝青龍があっさりと長身204cmの琴欧州を突きだして、大横綱大鵬と並ぶ6連覇を達成した。大相撲 のグローバル化を感じさせる一番であった。むかし白人が土俵に上がることは、間違ってもないだろうと思っていた。特に欧州人とは、生活習慣もかなりの違い があり、まさか彼らがフンドシを締めて土俵に上る姿など想像できなかった。それがどうだ。今や今回大活躍をした新関脇の琴欧州を筆頭に、ロシア勢など紅毛 の猛者たちが土俵狭しと活躍する様を観るにつけ、時代の変化ということを痛感した。

かつて1964年の東京オリンピックの柔道無差別に登場した日本の神永がオランダの巨漢ヘーシンクに敗れた 時、新聞は、「神永敗れる」と報道し、日本全体が敗れたような印象を持たされたものだ。ところが事実は、この無差別級のヨーロッパ勢の勝利が、柔道が世界 的なスポーツとして発展するためには決定的な切っ掛けとなったのである。不思議だが、敗れることで、柔道は世界のスポーツとなった。これは象徴的な出来事 である。多くの日本人が、日本人が伝統の中で培ってきた柔道がその精神を深く知っているかどうかも疑わしいヨーロッパ人に蹂躙されることに、ある種の憤り や違和感を持ったと思う。しかし深く考えれば、負けることもまた意味があるということなのである。

今、相撲界は外国人に席巻されている。つい最近まで、モンゴル出身の朝青龍の日頃の立ち居振る舞いが、横綱の 名跡を穢すとものだと、批判を受けてきた。しかし今その声は、賞賛の声にかき消されつつある。日本には立場がその人を作るという言葉がある。確かに朝青龍 は、場所ごとに横綱らしい威厳を身にまとってきているようだ。今回の千秋楽でも、君が代斉唱の際には、合わせて口ずさみ、インタビューでは、「努力をすれ ば報われるものと実感した。若手の台頭を刺激として、精進してゆきたい」と日本人泣かせの言葉を発した。ここに日本人以上に日本人らしい大横綱が生まれた と実感した。君が代は国歌としてどうか、という声がある。しかし朝青龍が歌う姿を見た時、私には次のような歌として心に響いてきた。

「朝青龍。君はよくぞ辛い稽古に堪え、大相撲の頂点の座まで上り詰められた。その君の努力は末代まで、人の代 が続く限り、讃えられるであろう」と。君が代という歌が私にはこのように勝者を心から讃える歌として聞こえてきたのだ。

琴欧州も同じである。物静かな彼の土俵態度は、禅の修行者を思わせる。彼はわずか3年で難しい日本語をマス ターし、日本精神の粋のようなものを、稽古を通して、学んでいるのである。アナウンサーが、「3年でよくここまで日本語がしゃべれますね」という問いに、 「まわりが全部日本人ですから」と答えていた。素晴らしいことだ。日本人が忘れている日本精神というものを、相撲界が外国人力士を育てることで、継承して いるのである。

グローバル化ということは、何も経済だけのことではない。今回の琴欧州が善戦活躍した05年大相撲秋場所は、 相撲を通して日本精神が、世界に広まってゆく契機となることを信じて疑わない。
2005.9.26 Hsato

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