推敲精神

 
昔、中国に一人の詩人がいた。名を賈島(かとう:779−843)と言った。この詩人の特徴は、なかなか作品が形にならないことだった。筆が遅く、苦吟型の詩人と呼ばれ、あれやこれやと悩みに悩んだ末に、やっとの思いで作品を仕上がるタイプの芸術家だった。今日も良い対句のフレーズが浮かんだものの、ちょっとしたことで、飯も手につかないほどに考え込んでしまった。

その詩とは、こんなものであった。

鳥宿池中樹(鳥は池中の樹に宿り)
僧推月下門(僧は月下の門を推す)
そこで、詩人は「推す」という所を、「敲く(たたく)」とした方がいいのではと考え出したのだ。でも「推す」も捨てがたい。「敲く」とした方が、視覚的な効果ばかりではなく、音響的な効果もある風情を醸し出してくれる…のだが…。

余りに考えすぎたので、馬に乗りながら、向こうから貴人の一行がやってくるのを見逃してしまった。考えあぐねて、馬の手綱を右に左に振っているうち、詩人は遂にこの貴人の行列と衝突してしまった。詩人はたちまち従者たちに取り押さえられ、貴人の前に連れて行かれた。

「何をやっているのだ。このノロマが!!」と従者が語気強く、詩人を叱りつけた。

それを制するように貴人が言った。
「まあ、待ちなさい。誰もケガもなかったのだから、いいではないか」

詩人はその優しい言葉に恐縮して頭を深々と下げた。
「申し訳有りません。つい考え事をしておりまして…」

「考え事だと、それは何のことか?」

「はい、私は詩人の賈島と申すものですが、いい対句が浮かびまして、考えあぐねておりましたもので。本当に申し訳有りませんでした」

「ほう、あなたが賈島殿か、私も韓愈(かんゆ)の名で詩を書いておりますぞ」

韓愈は、その本名を京兆尹(けいちょういん)と言い、行政区の知事を務めるエリートだった。一方の賈島は、何度も科挙という官吏になる試験を何度も落第している落ちこぼれ詩人である。詩という同じ志を持つ者同士、たちまち詩の話に花が咲いた。賈島は、早速「推す」のか「敲く」のかの答えを、韓愈に求めた。するとしばらく考えていた韓愈は、「そりゃーやっぱり、盗人ではないのだから、しかも心ある人物の門だから、『敲く』でしょうね」と言った。

その答えに、賈島も我が意を得たりとばかりに、「私もやはり『敲く』の方がいいと思っていました」といってニヤリとした。結局「敲く」に決定したこの作品は、「三体詩」にも掲載され、中国の名詩として歴史に残ることとなった。

この詩人賈島の「推す」と「敲く」の芸術的葛藤をもって、「推敲」という言葉が生まれたのである。確かにもしも仮に「推す」としたら、この作品は、後の世まで愛唱されることはなかったかもしれない。だからこそ「推敲」の精神を誰しも忘れてはならないのである。佐藤
 


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2000.6.9