ソドムとゴモラ的情 況の日本を憂う




ネコの目のように目まぐるしく変化する世の中を見ていると、心が落ちつかずザワザワとしてくる。昨日、投資の大物が逮捕されたかと思えば、東北では子供を 殺した疑いでバツイチ女性が捕まった。


市場も田舎も教育も日本の有様を神の視点からみれば、もう滅ぼしても良いのではないかと、決断を下すほどの惨状 だ。人々は享楽に耽り、道徳心を失い、己の欲望のままに、好き勝手に生き始めている。

安らぎのはずだったスポーツも、巨大なビッグビジネスと化して、肥大化した社会矛盾を隠す巨大な覆いか、末期ガン の苦痛を和らげるモルヒネのようにすら思えてくる。日本のいったいどこに、神がソドムとゴモラと違う一面を見出すことができるだろうか。

旧約聖書では、神はアブラハムに、「もしも50人、まともな人間が住んでいるならば、町ごと人間すべてを滅ぼすこ とを止めよう」と言った。

アブラハムは、「もしかすると45人しかいないかもしれません。それでも神は町のすべてを滅ぼされますか?」と聞 く。

慈悲深き神は、「45人いればわたしは町を滅ぼさない」と約束した。

ところが、その数が不安になったアブラハムは、「40人、30人、20人、10人」と神に食い下がって、とうと う、約束の数を10人まで下げることになった。まさか、10人のまともな人間がいないはずはない。きっとアブラハムは高をくくっていたのである。

10人のまともな人間を捜すために、二人の神の使いが町にやってくる。そこで最初に出会ったのが、ロトという人間 だった。神の使いはロトの家で、ご馳走になり、まともな人間がいることを知り、少しばかり安心をした。ところが、すぐに雲行きは変わる。ロトの家を取り囲 んだ群衆は、「よそ者を出せ」と騒ぎ出したのだ。信心深いロトは、神の使いのために、群衆に、私の大事な娘ふたりを差し出しますから、乱暴をしないでくだ さい、と懇願した。絶望的な状況だった。神の使いは10名のまともな人間を見出すことはかなわなかった。

そこで、ロトの家族に、この町のすべてを破壊することを告げ、立ち去るのである。

人は、いったい何のために生き、そして死んで行くのか。日本は少々極端かもしれないが、ソドムとゴモラの町に生き 写しではないのか。現代日本が日々晒す醜態を、これでもか、これでもか、と見せられるにつけ、旧約聖書(創世記)の次の言葉が胸を過ぎるのである。

「種はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草 木もろとも滅ぼした」(新共同訳)


2006.5.26 佐藤弘弥

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義経思いつきエッセイ