寓話 本物の親切

 

こんな話がある。

昔々、その昔、東北の山里に、乞食のような格好をした怪しい男が、足を引きずりながら入ってきた。

腹が減っておる。何か食わせてくれ。礼は後でたっぷりする」とその乞食は偉そうに言った。村人はびっくりして「お前のようなものに食べさせるものはない。我々だって、まともなものは食っていない」と言って追い返してしまった。それも無理からぬこと。その年は冷害で、米どころかヒエやアワも穫れないほど、村人は困っていた。その乞食は、何件かの家を回ったが、とうとう、食べ物にありつけずに、道ばたで倒れてしまった。

どうなさったのですか」通りかかった若い娘が、その乞食を助け起こした。「かくかく…しかじか…腹が減った…」と、蚊の泣くような声でしゃべると、またその腹の空いた乞食は気を失ってしまった。

かわいそうに思った親切な娘はその乞食を、自分の家に、やっとの思いで連れていくと、両親に事情を話した。「仕方なかんべ、困った時は、お互い様だ」娘の優しい気持ちは、きっとこの両親に似たのであろう。この一家は、よく困った人がいると、自分のことなど省みずに、食べ物やお金を与えているような親切な人々であった。

元気が戻った若者は言った。「片じけない。これには深い事情がある。実は私は、城主の息子である。不覚にも鷹狩りのおり、家来と離れて、山の奥へ入って道に迷ってしまった。そこに運悪く山賊どもが現れ、身ぐるみはがされてしまったのだ」と。しかし、その余りのみすぼらしさに、娘もその両親も、「きっと頭がどうかしているのだろう」と思った。

分かりました。まずその前に、お前様の足が治らないうちは、ここから十里もあるお城までは、歩いていけません。くじいた足を治してから、ご一緒にお城にお供しますから」娘の父は、そう言ってその若者のウソを受け止めたつもりだった。

ところが、若者のウソは本当だった。つまり乞食は、実は本物の若殿だったのだ。その頃、城では殿様が、さんざん家来たちを叱りつけていた。「この役立たず、お前たち、みんな腹を切れ」それはもう大変な剣幕だった。しかし待てど、暮らせど、息子の手がかりがまるでない。とうとう殿様も、あきらめて葬式の準備に取りかかろうとしていた。

だから元気になった息子が、目の前に現れた時には、城中が歓喜にわき返って、若殿の帰りをおおいに祝ったのであった。若殿は、大殿の前にまかり出てこう言った。「父上、実は、報告したいことがあります。私の恩人である娘と夫婦になろうと考えております。本当に心優しい娘ですので、そのことを是非ともお許しください」息子思いの父上に文句があろうはずがない。「わかった」と一言いって、息子の願いを聞き入れてくれたのである。

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これは日本のシンデレラ物語である。この場合の見初め(みそめ)のポイントは、献身的なやさしさと親切心である。別に娘も両親も、乞食の見返りを期待して、助けた訳ではない。ただただ、いつもやっているように困った人間を助けただけである。見返りを期待しない親切こそ本物である。佐藤。
 


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1998.11.20