人間の使命というもの

 
 
 

人は生まれながらに、様々な使命というものを背負っているような気がする。もちろん一口に使命と言っても、人様々だが、今年の夏休みは、自分の使命のひとつを自覚する帰省だった。

それは百五十年ほど前の古い話である。その頃、宮城の北部にある佐藤家では、酒造りと質屋で全盛を誇っていた。そして我家には、代々伝わる古い神様がいた。佐藤の家の当主になったものは、その神社を御明神(おみょうじん)さまといって、お宮を建てて、手厚くまつってきた。もちろん日本は、多神教の習慣があるから地元の様々な神様も、大事にしていた。

ある時、当主は、神社の権威である京都の神祇伯王家(じんぎはくおうけ白川家)に詣でて、佐藤家と地元の末永い繁栄を祈願して来ようと考えるようになった。そしてある日その思いを行動に移した。長旅の末に、京都で伯王家に寄進をして、祈願文を上奏し、小さな御神体をいただいて帰ってきた。これは佐藤家にとっても、地元にとっても大変な名誉であった。何しろ家系図にもその祈願文を貼っているくらいだ。

その時点では、佐藤家は未来永劫(みらいえいごう)栄えるかに思われた。まさに佐藤家も佐藤家の酒屋の商売も絶頂であった。しかし世の中はそんなに甘いものではない。京都に行った次の代の当主が、なんと39歳の若さで早世してしまったのだ。この早過ぎる死に対しては、様々な噂が飛び交った。

やれ「たたりだ」「呪いがかけられた」と地元の人々は、大騒ぎになった。我家にも、地元の神様のひとつである「御天王(ごてんのう)さま」をお参りするときに、「ほれ、御天王、お参りにきたぞ」と杖で、神社の幕をたくし上げた行為の「たたり」という言い伝えがある。つまり日本で最高の神様をまつっていることを鼻にかけて、地元の神々をないがしろにして、天狗になったためにバチが当たったというのだ。

その年には、佐藤家の屋根が突風によって吹き飛ばされ、佐藤家の家の前が怪光によって包まれたとも言われている。最後には当主が、数え歳42歳(満39歳)の若さで命を失い、自分の年祝いの為に、特別に醸造していた酒を、皮肉にも葬儀の客に振舞うことになった。その後も、悲劇は続く。死んだ当主には、子供が女子一人しかなく、仕方なく、弟の長男を跡取として養子に迎えた。しかしその跡取も満35歳で急死してしまうのである。

もちろんことの真相は、果たしてたたりなのか、単なる偶然なのかは、分からない。しかし少なくとも「調子に乗って天狗になるな」、「身近な神様をあなどるな」という教訓だけは引き出せるような気がする。そこで兄と私は、この夏休み、この佐藤家の悲劇の元となった「御天王さま」にお参りし、先祖の非礼をわびることにしたのである。

朝早く、その御天王さまを奉ってある小さな山に向かった。

国道を左にそれて、車がやっと通れるほどの山道を、兄の車で、目的の神様(御天王さま)がまつってある場所まで向かった。その場所は、500m位奥にまった所にあり、今は神社らしい面影はない。ただ小高いところに北を背にして石の祠(ほこら)があるだけだった。周辺を兄と姐が草を刈りながら進むと、祠の左右にろうそくを立て、お神酒、お米、野菜をお供えして、銘々に先祖の非礼を詫びた。

そこで私は考えた。「さてこの御天王さまとは、いったいどのような人物だろう」そして、はっと感じるものがあった。「この御天王さまは、もしかしたら、アテルイさんではないのか?」

アテルイという人物は、東北古代の英雄中の英雄である。彼は桓武天皇の時代(すなわち都が奈良から京都に移った時代)、再三に渡って、大和朝廷側の東北侵略を撃退した。それでは駄目だというので、桓武天皇は、切り札の坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命した。彼は、アテルイの生涯のライバルとなる人物だ。しかしそれでも死闘は延々と続いた。

ついにはどうしようもなくなって、双方手打ちをしようということになった。アテルイは、田村麻呂と共に、わずかな手勢で、京の都に和睦の調印に向かった。ところがアテルイに散々苦しめられた連中の恨みは予想以上に深く、朝廷側は、アテルイの首をはねてしまうのである。つまりだまし討ちにあったのである。まさに悲劇の英雄である。

しかし本当に「御天王さま」は、アテルイだろうか?そこで神社の歴史を調べると、御天王さまは、牛頭天王(ごずてんのう=スサノオの尊)という定説があることを知った。すなわちあの神楽でよく大蛇ヤマタノオロチを退治する出雲(島根県)の神様のスサノオである。

さてスサノオには、ニギハヤヒという優秀な息子がいた。彼は四国の方から船団を率いて大阪の河内に上陸して、ついには奈良にも出雲系の王朝をうち立てたのである。このことは大和朝廷以前に、出雲系の王朝が、西日本を統一しつつあったことを物語るのである。

実は佐藤家で代々当主が、大明神さまとしておまつりしてきたのが、この「ニギハヤヒの神様」であった。するともし御天王さまが、スサノオであるとすれば、我が佐藤家では、知らず知らずのうちに出雲のスサノオとニギハヤヒという親子を別々に拝んでいたことになる。しかも一方は、京都の都直系の神様として、一方はまったく地元の土着の神様としてである。

もし御天王さまが、アテルイであったとすれば「なぜこの地元のワシを差し置いて大和の神様を第一にまつるのか」という怒りであろう。もしスサノオであったとすれば「息子のニギハヤヒを第一に考えるのはいいが、このスサノオを邪険にするとは何事だ」という怒りになる。また長い時代の変遷の中で、アテルイとスサノオの両方の神様が、人々の信仰を通じて合体して、強力な力を持ってしまった可能性もあるのである。

しかしこの際、3ツのうちのどちらにしろ、たたりのような現象が起こったことは事実で、このたたりの源流(縁起)を探り当てて、その中心で絡み合っている糸をきれいな一本の糸にほぐすことこそ肝心なのである。

この絡み合った糸をほぐす方法を縁滅(えんめつ)の法と言う。この方法は、ブッダが、悟りを開く時に使ったもので、理屈は非常に簡単である。現在の問題の根本を探し、そのために起こったことを、ひとつひとつたどりながら、氷を溶かすように水に流していくのである。我々が仲直りする時に、使う言葉に「水に流す」という言い方があるが、まさにすべてのわだかまりを水に戻してしまうのである。すると最後には、怒りも、たたりも、呪いも消えてしまうのである。この縁滅の法を使って、今後も時間をかけて、この佐藤家の深い因縁というものを解かして行きた
いと素直に思ったのである。

佐藤家の先祖だけではなく、元々人間は、仏像にしろ大きな神社仏閣にしろ、大きかったり、金がふんだんに使われてあったりすると、有難く思ってしまいがちだ。逆に目先で小さく見えるものや、汚いものは下に見がちなである。これはまったく愚かな考えである。物事の貴賎(きせん)は、その本質によって決まるものである。私はその反省の思いを形にして残したい。そのためにも私自身、より一層努力しなければならないと思うようになった。

先祖が冒した愚かな罪もしっかりと背負い、深い反省の念を持ち、心の中で固まっている氷を解かし、佐藤家に漂っている黒い雲を払う事こそ、私が佐藤家に対して与えられた使命(自己の役割)なのではないか。そう思って考えてみると、確かに私は子供の頃から、特別に豊かに育った訳ではないが、勉強の機会にも恵まれ、お金でも苦労したことがなかった。すると私の運の強さも、自分に与えられた使命(役割)の為かもしれない。つまり私は、何かしらの目的のために、生かされているのだ…。

ここまで生きてきて、ようやく自分の使命が分かった気がする。そもそも使命と言う言葉は、自分の命を使う、と書く。つまり使命とは、自分の命を使って、未来を背負うことなのだ。

あなたも自分の使命(役割)と言うものを、真剣に考えてみてはどうか!?佐藤
 



 

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1998.3.5