サイレンスズカ絶賛

短くも美しき生涯


 

私は競馬をほとんど見ない。生まれてこの方、自分で馬券というものを買ったことがない。そんな私が、今度の天皇賞だけは、何故か見逃せない気がして、テレビにかじりついてしまった。ドラマが起こる予感がしたからだ。

誰もが「サイレンススズカに死角なし」と、この驚異の逃げ馬の勝利に太鼓判を押していた。確かにサイレンススズカは、今年に入ってから負けなしの六連勝(うち重賞レース5連勝中)、史上最強の逃げ馬との呼び声が高い。しかも騎手は今をときめく天才武豊。単勝は120円の銀行レースである。

武豊は「スタート前のインタビューで「サイレンススズカには、特別な力を感じる。あんな逃げ馬はいません。最後の末足であれほど粘れるのは驚異です。秋の天皇賞に、一番人気は勝てないというジンクスを崩して見せます」と熱っぽく答えていた。

私がテレビを見ていると、武豊がサイレンススズカに騎乗した瞬間、首を下に何度も振って、武豊の手綱を引く仕草をした。その仕草に、何かただならぬ気配を感じた。もし私だったら、その勢いだけで、地面に叩きつけられているに違いない。それほど強い力で引いている。NHKのアナウンサーは、そんな仕草を見ているはずなのに、何か前より、落ち着いているように見えますね。やっぱり成長しているんですね。などと、言っている。私には、どうしても何か異変があるような感じがした。

やがてスタート。サイレンススズカは、あっという間に、よその馬を置き去りにして東京競馬場を駆け抜けていく。まるで他の馬が止まっているようにさえ見える。「異常な早さだな」素人ながらそう思った。1000mのタイムは、何と57.4秒。普通の馬では60秒前後と言われている。58秒台でも速いのだから、この日のサイレンススズカは、間違いなく絶好調だった。

こんな光景は、初めてだった。何しろ1000mを越えて、二位以下に10馬身以上の大差を付けて、本当に他の馬が止まっているように見えるのだ。テレビは、帯状に伸びたこのレースの模様を、上の方でテロップのように流している。異様な感じさえする。

次の瞬間、ドラマは起きた。第4コーナーに差し掛かる直前、武豊が急に走り込もうとするサイレンススズカの手綱を強く引いて、その走り込もうとする勢いを止めに掛かった。アナウンサーは絶叫した。「サイレンススズカに異変です。どうしたサイレンススズカ?!

武豊は、それでも冷静だった。後の馬の動向を気にしながら、手綱を押さえて、サイレンススズカを隅に寄せた。一瞬にして14万人を飲み込んだ東京競馬場が凍ったようになった。

何とか軽傷であって欲しいというすべての人の願いもむなしく、結果は、最悪だった。サイレンススズカは、サラブレットにとって致命傷の左前脚の粉砕骨折という悲劇に見まわれていた。その後、この5歳の雄馬は、直ぐさま安楽死処分となった。騎乗した武豊は「理由なんてありません。この前より馬の調子は良かったし、僕が乗った中では1番だった。自信を持ってレースに臨んだ。これだけの馬だけに…、運が悪かったとしか…、何とも言えないです」と力無く答えるのが精一杯だった。

まさにサイレンススズカは、競馬の神の使いだったのかもしれない。僅か5歳という短い命の火を一瞬に燃やし、観る者に、鮮烈な印象を残して、流れ星のように消えた。美しい馬だった。本当に。合掌。佐藤
 


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1998.11.02