鶴川・武相荘訪問記

文化景観としての旧白州次郎・正子邸


竹林の前に立つ石塔(室町時代)

竹林の前の三重の石塔(室町時代)
(2007年3月3日 佐藤弘弥撮影)

石 塔の下に遺品を埋めゐて次郎偲びし正子の祈り ひろや



1 鶴川駅周辺の景観に幻滅したこと

私がはじめて「武相荘」に訪れたのは、07年2月24日のことである。前から一度、一般公開されているという鶴川 の白州邸を直に見てみたいと思っていたが、なかなか足を運ぶ機会がなく、延び延びになっていた。

午後三時過ぎ、小田急線鶴川駅に降り、バスターミナルを過ぎて少し歩くと、鶴川街道(国道3号)になる。近くで敷 地50坪ほどのビル建設が進められていた。真っ黒な関東ローム層が顕わになっていて、この辺りも、数十年前には、畑で、この土はきっと野菜を育てていたの だろう、と思うと、春風に乗ってくる生の土の臭いが何故か愛しいもの感じられた。

武相荘は、小田急線鶴川駅から歩くと私の足で12、3分の距離にある。正直に言って、鶴川という場所が、白州正子 さんの記述などから想像して、もう少し田舎と思っていた。だが、その思いは悪い意味で見事に打ち砕かれた。白州正子さんが亡くなって、今年で9年になる。 かつての鶴川村は、巨大都市東京に呑み込まれながら、新興住宅地として、日々変質させられている。そんな風に見えた。鶴川周辺には、巨大な団地なども建て られて、駅前周辺には、不自然なほど学習塾などの看板が目に付く。またファミリーレストランや不動産の看板などが雑然とひしめく合っていて、とても白州正 子さんの著作から想像するあの「鶴川村」のイメージはどこにもない。

おそらく、白州次郎・正子さんご夫妻が、一生の住まいと腹を決めて移り住んだ鶴川も、日本中の新興住宅地と同様、 いい加減な都市計画によって、そこに不動産屋が群がり、土地を買収。すると代々お百姓をして暮らしていた住民たちは、急に大地主となって、建設会社に云わ れるままに、まったくそれまでの鶴川になかったような色やデザインの豪邸を建て始める。こうなる派手と豪華の見栄の張り合いで、とんでもない殺風景な街並 みが出来上がってしまったということかもしれない。

本来であれば、市や町、地元の住民が一体となって、どんな町にしたいかと言った周辺の景観計画を優先されなければ いけなかった。まずは、グランドデザインありきである。ところが、日本の場合は、これが野放し状態で進むのである。土地を取得した者は、町の景色の統一性 とか全体性などは思考にはない。あるのは、自分の土地を利用して、いかに効率よく金儲けができるか、というしたたかな計算だけである。

本来であればこの鶴川駅前には、「香山園(かごやまえん)」(香具山記念館)という素晴らしい日本庭園があるのだ から、この場所から鶴川街道(国道139)を左に折れて500mばかり行ったところが武相荘という地域をメインストリートにして周辺のグランドデザインを 考えるべきだった。しかもこの周辺は、新興住宅地域ということがあったためか、公立小中学校や国士舘大学、恵泉女学園などの学校が多く文教地区である。駅 周辺は、適度になだらかな勾配があり、これが実にいいのである。さらに緑も多く、計画次第では、あの中央線の国立駅周辺にも負けないような美しい街並みが できたと思うのである。

しかし現在の鶴川駅周辺は、余りに雑然とした景色で、お世辞にも美しい町とは言い難い。もしも駅前から鶴川街道 (国139)を整備し、歩道を拡げて、道に余裕を持たせ、街路樹を植えるようなことをしていたら、まったく別の雰囲気になっていたと思われる。商店街など も、色合いが不統一で、けばけばしいものが多く、統一性がない。

特にひどいのは、武相荘の前に、「ユニクロ」という大型店が進出して、まったくこの鶴川という歴史的風土や武相荘 の前に自分たちの店があるということを少しも感じていない店作りをしている。実に見苦しい景色だ。大きな駐車場の側に、銀色の箱を上から落としたような作 りで味も素っ気もない。効率のよい店を考えるとこのようになるのだろうが、歴史や文化を無視した発想には、首を傾げたくなる。この横に新しく「COCO壹 番屋」とか言うカレーチェーンなど巨大な黄色の旗をはためかせてオープンしており、武相荘に行くという気分に思いっきり冷水を浴びせられるような気分に なった。

世に「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉がある。これは、この説を唱えた英国の財政学者の名をとって「グレシャム の法則」と呼ばれる。本来であれば、質の高い良貨が悪貨を無くすような流れになれば良いのだが、そうはならないというのが、この法則の結論である。

同一の地域にあって、質の高い貨幣というものは、悪貨に比べて効率が悪い。現在良貨としての「武相荘」は二千坪の 敷地面積があるそうだ。もしもこの地域でこの土地を有効利用したならば、もの凄い価値を生む。結局は、「ユニクロ」のような悪貨が、「武相荘」を駆逐する ような勢いで、拡がっていくのである。確かにしたたかにお金を稼ぐとしたら、「武相荘」のような非効率な土地利用は、歴史も文化も解さないような守銭奴の 企業家たちにとっては、「もったいない」ということになり、買収の餌食にされるのである。もしかすると、どこかの不動産会社や個人が、金の力に任せて、白 州次郎と正子が手塩にかけて作り上げた日本家屋「武相荘」と二千坪の敷地を買収することを画策しているかもしれない。

鶴川街道をユニクロの駐車場から、左に折れて坂を登っていくと、道が二つに分かれている。左が「武相荘」で、右に 登っていくと、目新しい感じの豪邸が目に入る。私邸であるから、誰の家かは知る由もないが、妙に気になる家ではある。ともかく、あこがれの「武相荘」に着 く前に、まさにグレシャムの法則の通りに、良貨としての古き良き文化が、あっと今に悪貨に囲まれ危機に瀕していくパターンというものを如実に見せられる思 いがして悲しくなったのである。

 孤高持す次郎・正子の「武相荘」悪貨に抗す良貨なりけり ひろや


つづく


論考   白州正子 感性の秘密へ

資料写真 白州次郎・正子邸「武相 荘」の

2007.3.9 佐藤弘弥

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