トリックスター新庄剛志論


−日本一になって去る男の話−



今年の日本シリーズは、まるで新庄劇場そのものだった。
最後の打席のフルスイングの三振も新庄らしくよかった。本人自身、「映画のようだ」と言ったが、確かにシナリオ仕立てのドラマでも、こんなにうまいストー リーは出来なかったはずだ。

まったく新庄剛志(1972ー)という男は、日本プロ野球に現れた「宇宙人」か「トリックスター」のようだ。宇宙人はともかく、「トリックスター」を広辞 苑でひけば、「@詐欺師。ペテン師。A神話や民間伝承などで、社会の道徳・秩序を乱す一方、文化の活性化の役割を担うような存在。」と記されている。

読んで字の如く、「トリック」を行う「スター」的存在。それがトリックスターである。広辞苑では、まず詐欺師、ペテン師という否定的なトリックスターの一 面から説明しているが、トリックスターは、神話学やユング心理学によって、一般に知られるようになった用語である。

ユングはインディアン神話を分析した著に刺激を受けて、「トリックスター元型」(「続元型論」所収 林道義訳 紀伊國屋書店 1983年刊)について考察 を加えている。

そこでトリックスターを「最も古い種類の元型的な心的構造」(P98)、「いかなる点から見ても未発達な人間意識を忠実に反映」(同)、「動物の水準をほ とんど越えていない心のあり方」と、人間の原初的な心を持つ者と定義した上で、「彼は救い主の先駆者であり、救い主と同様に神であり人間であり動物であ る。彼は人間以下でありながら人間以上であり、神=獣的存在であり、その一般的特徴は無意識的である。」(前揚書 P103)と説明している。人間の文化 史的に言えば、トリックスターは、しばしば歴史に顕れ、人間の文化そのものをその原初的な感覚で活性化させる存在なのである。言ってみれば、新庄に限ら ず、トリックスター的存在は、人間の未来を拓くパイオニアとも成り得る人物だとも言えるのである。

新庄その人について、正直に言えば、彼は野球の天才というよりは、野球界に出現した「トリックスター」である。彼の引退までの通算成績は、打率で2割5分 2厘、ホームラン225本だそうだ。この成績だけを見たら、凡庸などこにでもいる選手に過ぎない。しかし彼が野球界に遺したイメージは、イチローやマツイ などの彼の後輩のスーパースターにも勝るとも劣らないものを遺しているということを否定する人はいないであろう。

とにかく彼の一挙手一投足はユニークであり、彼の言動はこれまでの野球選手のワクを越えて一種のだだっ子のようでもあり、愚か者にも見え、それでいてどん な言動を吐いても許されてしまう不思議な魅力を放つ選手だ。

阪神タイガーズ時代監督として彼に接した現野村楽天監督は、新庄を「とにかくおだて上げ、誉めあげて使った」と言った。野村監督はその時、新庄に「お前は 肩が強いからピッチャーも出来る」と乗せて、新庄をピッチャーに仕立て上げようとしたこともあった。新庄は、それに応えて本気で投球練習をしマウンドに 登ったこともあった。

新庄は根っからのエンターテナーであるが、ナイーブな一面もある。それは23歳の時に、「自分の野球センスを見切った。実家にかえって造園業の跡を継ぐ」 (1995)と言いだしたことでも分かる。しかし持ち前のトリックスター性は常に野球ファンに驚きを与え続けた。引退宣言の二日後には前言を撤回し、阪神 のセンター定位置を確定し大スターとなった。野球選手は歯が命とばかりに、全部を真っ白いインプラントにしたこともある。逆三の体を目指すとお尻が大きく なるようなトレーニングを避け続けたことも有名な話だ。とにかく型破りな選手だった。

1999年には、巨人軍槇原投手の敬遠の玉をホームベースまで踏み込んでサヨナラ安打を打つなど、常に話題を提供した。2000年には、FA宣言をし、大 リーグ挑戦を口にした。周囲は「イチローとは違う。無理。止めて阪神で複数年で10億円の契約をした方が良い」との声を無視し、拾ってくれたニューヨーク メッツと年俸二千万円という待遇で契約をした。この時には、自らの愛車フェラーリを売って渡米資金にしたというエピソードが残っている。彼の価値観は、人 が右と言えば左、多分に天の邪鬼の傾向がある。それでも、持ち前の明るさと守備範囲の広さ、肩は大リーグでも一流だった。二年目は、大打者ボンズのいたサ ンフランシスコジャイヤンツに移り、参年目には再びメッツに戻ったが打撃不振で、途中解雇される。この時、最初に声をかけてくれた北海道日ハムファイター ズに恩義を感じ契約。ここからアメリカ大リーグのベースボールを経験した新庄のパフォーマンスは、信じられないほどの勢いで、北海道に拡がり、そこから日 本のプロ野球全体を活性化する役割を果たした。

ともすれば、日本の野球は、野球道というような、求道的な側面があるが、新庄が身をもって示したのは、野球というゲームの屈託のない明るさや楽しさであっ た。しかし新庄は今年の春開幕直後に、「今期限りで引退する」と宣言をし、周囲を驚かせた。「これまで打てた玉が打てなくなった。取れた打球が捕れなく なった。ホームベースでアウトにできると思って送球したのにアウトが取れなくなった」と新庄は、自分のプレーに自分自身が納得できなくなったことを口にし た。本音だろう。

映画のラストシーンのように、新庄は最後のゲームで日本一を遂げ、監督のヒルマンよりも先にチームメートに胴上げを受けた。するとヒルマンは、微笑みなが ら、「新庄はチームにエネルギーを注入してくれた。来年新庄と一緒に出来ないのが寂しい」と短く語った。

トリックスター新庄剛志は、見事な野球人生に幕を閉じて、球界を去っていった。それはまるで秋の夜空を掠めて流れる青い流星のようであった。

2006.10.27  佐藤弘弥

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