寓話 殺生とはなんぞ

 
ある夜のことである。いつものようにベットに入ると、暗闇が恋しくなって、手元のランプを消した。しばらく暗闇の世界を楽しんだ後、ふと眠りに落ちてしまった。するといつか夢か幻かは知らぬが、一人の老人が枕元に現れこう呟いた。

「汝、罪深き者、いったいこれまで、お前一人の命が生きるために、どれほどの命が犠牲となっているか、考えたことはあるか」

私は、「ありません」と答えたかったが、体全体が硬直して動けない状態だったので、仕方なく必死で首を振って、自分の意志を伝えた。

「罪深き者、汝はそんなことも考えたこともない愚か者だ。いつもいつも汝が考えていることは、汝の目から見た真実ばかりで、少しも他人を顧みない。人間であるという驕りがお前自身を駄目にしておる。人間主義だと?人間がそれほど偉いのか?人間ならば、他の生命の命を奪うことが許されるのか?他の生命を、無意味に踏みつぶし、食して、それが人間ならば許されるのか?汝罪深き者よ、汝の犯している罪を自覚せよ」そこまで言うとその老人は、闇の中に消えた。

それから私は夢を見た。果てしなく広がる野原には、色とりどりの花が咲き、彼方の山には、ヒマラヤの山々を思わせる雪山が連なっている。余りの心地良さに思わず、その場に横になろうとした。

すると天上から、さっきの老人の声が聞こえてきた。

「罪深き者、汝は下が見えないのだ。お前が見ている野の草の下には、多くの命が、上を知らずに生きておる。分かるか、お前が気持ちよく寝転がろうとすれば、その懸命に生きている者たちはどうなる。途端に息絶えて、天国に召されてしまうのだぞ。簡単に気持ち良いから、この上に寝るという行為が、殺生に通じておる。汝等の法では、殺生そのものは罪ではない。殺人だけが罪で、他は生きるためには仕方ない行為として顧みられることはない。愚か者よ。そのような非道徳に馴らされた汝は、天上では殺生者と呼ばれるであろう」

その声は、威厳に満ち、そして心に染み渡るように聞こえてきた。

そこで私は、その声に促されるようにそっと下を覗いてみた。すると小さな虫たちが、その草むらいっぱいに命を繋いでいる姿が見えた。テントウ虫は、小さな葉に取りすがって、朝露をすすっている。蟻たちは、草むらから、小さな虫の死骸を自分の巣に運んでいる最中だった。ここにいる虫たちは、一つの無駄もなく、己の命を繋いでいるのだ。黙ってこの虫たちを見ていると、ふと自分が次第に小さくなって、いくのを感じた。そしてだんだん周囲の景色が大きくなっていくにつれ、蟻たちの言葉が、理解できることに気がついた。おそらく私は、その時蟻に変化していたのだろう。別に違和感はない。ただ無性に何かを巣に運びたい気分になっていたことは確かだ。

「君は誰だ。どこから来た」私にそう言う蟻がいたので、「あっちから」、と言ってごまかすと、「そうか、暇だったら手伝ってくれ、大きな餌があったので、運んでいる最中だ。頼む」と言ってきた。他人いや、他の蟻に「頼まれる」という行為がすごく嬉しくて、「よし分かった。どっちだ?」と言うと、「俺について来い、こっちだ」と言うので、その蟻の後をとぼとぼと付いて行った。

すると居た。大きな大きなオニヤンマが、目を剥いて倒れている。蟻たちは、手分けをしながら、そのオニヤンマを解体し、巣に運ぼうとしている様子だった。「誰だあいつは?」と先頭の蟻に聞いて来る奴がいる。その度に「ああ風来坊さ、手伝ってくれる」と答えていた。私はなんだか、急に力が発揮したくなり、オニヤンマの羽の付け根に噛みついてみた。「おいおいこいつは誰だ?オニヤンマの解体の仕方も知らんくせにやたらと威勢だけはいいが、ちょっと邪魔だな」という奴がいるので、「大丈夫オニヤンマ任せとけー」などと自分でも訳の分からない言葉を発して、必死でオニヤンマの解体を手伝った。

運良く根元からきれいに取れて、「おいあいつ結構やるじゃないか」などという奴まで現れて、今度は口から粘液などを出しながら、解体した破片を、餌の団子に料理し始めた。別に習った訳ではないのだが、自分の体から発する本能で、次々と行動がとれる。実に不思議だが、この辺で、私は完全に蟻成りきってしまったようだ。

その団子を次々と巣に運んでいく蟻たちを見ながら、「よしオレも運ぶぞ」と思っていると、また天上から、あの声が聞こえた。

「汝、罪深き者よ、どうだ、蟻となった気分は」

私は深い考えもせず答えた。
「ええ、結構面白いです。」

「馬鹿者、だからお前は愚か者なのだ。楽しい?だと、ふざけるな、蟻の本能を知らせる為に、お前は蟻になったのか?そうではあるまい、殺生の何たるかを知るために蟻に変化したのではないのか?たわけ!!」

その声は、まるで雷のように大きく激しかった。天の怒りか、空には暗雲がにわかに現れて、雷鳴と共に嵐がやってきた。仲間の蟻たちは、いつの間にか、あのごちそうの団子を抱えて巣の中に消え、私は一人雨に打たれながら、たちまち川となった野原を、小さな草の船に掴まり、流されていった。
 

やがて流されるまま小川までたどり着いたが、恐怖感というものはまったく感じなかった。むしろ私は、流れの力でクルクルと回転する草の船を遊園地の乗り物にでも乗った気分で楽しんでいた。目の前を茶色に混濁した水が流れていく。すごいと噂のジェットコースターにも何度か乗ったがこれほどのスリルはなかった。世界一の暴れ馬を乗りこなしても、この爽快感は味わえないだろう。

目の前を流れる景色がいそがしく通り過ぎていく。その景色を見ながら、ふと、心に「どんなことになろうとも、自分の生命はこのまま終わることはない」、という確信に満ちた観念があることに気づいた。それが一切の恐怖感を消し去っていたのかもしれない。そうこうしているうちにも小川は、ますます水かさを増して、勢いも強くなる一方だ。川幅も次第に広くなってくる。相変わらず、空にはあの老人の怒りを示す稲妻が走り、怒号のような雷鳴が響いている。成るようになれ。ちっとも怖くないぞ・・・。 

相変わらず移りゆく景色はとっても新鮮で美しかった。この流れは、遠い昔に、空しい反戦デモの帰りに乗った終電車のような心地よさがある。その時、学生だった私は、疲れ切った体をソファに沈めて、「いいからどこまでも、いつまでも、走ってくれ」と電車に向かって語りかけたことがあった。少しして、ふいに眠気に襲われ、目を開けたり瞑ったりしながら、ぼんやりと中空を見つめていると、ある地点を境にして、急に空の色が変わった。 

それはまったく驚くべき変化だった。今まで嵐が支配していた周囲は、急に晴天になり、眩しい日差しが差してきた。濁流は静まって穏やかな流れとなり、川は光を反射して輝いている。川の中を覗いて見れば、メダカたちが、草の船に乗った私を迎えるように連なって泳いでいる。こんにちわの代わりに、足を水につけていると、メダカたちは、それに答えるように、私の足にすり寄ってくる。一瞬、足を餌と間違えていて、食いちぎられるのでは、と思ったがそうではなかった。彼らは、船に乗った私と遊びたがっていたのだ。 

しばらくメダカたちと、遊んでいると、周囲から小鳥の啼く声がして、メダカたちの様子が一変した。一羽の小鳥が、私の草の船すれすれに急降下したかと思うと、メダカは、その小鳥の鋭い嘴(くちばし)の餌食となった。別の小鳥も飛んできて、次々とメダカをさらっていく。仲間を見ながら、メダカたちは、なす術もなく、一カ所に固まって、震えていた。私は必死で「止めろ」と何度も叫んだが、その声は、声にならなかった。それでも小鳥たちは、容赦なくメダカたちを食べ尽くして、小川で楽しく遊んで居たはずのメダカたちは、とうとう一匹も居なくなってしまった。

「何故こんなことが、そんなに食べる必要があるのか?小鳥よ、無駄な殺生するな!・・」いつの間にか私の目からは涙が、ポロポロとこぼれていた。すると天上からあの老人の声がした。 

「汝、罪深き者よ、よく見たか、これが現実というものだ。人の世だけではない。生きる者は、みな殺生をする。殺生をしなければ、生きられぬように出来ておる。小鳥とて同じ、人間とて同じだ。しかしそこにおのずとルールというものがなければならぬ。殺生には生きるためにする殺生と楽しみのためにする殺生がある。放っておけば、種を抹殺するほどの殺生をする者もいるが、これが一番罪なことだ。人間にはハンティングと称して、他の生物の殺生を楽しみにしている者すらある。あの小鳥がお前の前で演じたのは、さていったい何だったと思う?さあどうだ?」 

その声には、うむを言わせぬ威厳があった。それで私は、自信はなかったが、 
「小鳥になってみなければ、分かりませんが、あんなに全部食さなくても、生きてはいけるんではないですか?」と答えた。 

「その通りだ。あの小鳥の罪は、殺生を楽しんだことにある。よく覚えておけ、生きることは殺生に通じるが、殺生を楽しみとしてはならぬ。その境界が分からぬ者に生きる資格はない。よいか、お前は、あの小鳥たちの末路を知っている・・・」 

老人の声が途切れると、何故か、嫌な記憶が急に蘇ってきた。それは数年前に、友だちに連れて行かれて焼鳥屋のことだった。そこのオヤジさんがこういった。 

「今日、滅多に食べれない野鳥が入っているんですよ。おいしいですよ。是非食べた方がいい。頭から尻尾まで、バリバリ食べられる。絶品ですぜ。ダンナ」 

そう言うので私は恐る恐る口を付けてみた。塩味で焼いているだけなのだが、実に香ばしい味がして、知らぬまにバリバリ食べていた。丁度胃袋当たりに差し掛かった所、何かぬるっとした異物感がして、それを手に吐きだして見たところ、メダカのような魚が入っていたのだ。よっぽど、私は嫌な表情をしたと見えて、友達は私を見ながら、
「いや、こういうのがうまいんだよ。お前付いているな。ねえ、オヤジさん?!」 

「そうですとも、野鳥を食べる醍醐味みたいなもんですぜ。ダンナ」 

「おやじさん、そのダンナっての、やめてくれないですか。ちょっと、背中が痒くなるんですよ」 

少し言葉がきつくなったなったのは、明らかに胃袋の中のものを嘔吐しそうになるほど気分が悪くなったことに原因があった。 

かわいいはずの野鳥が、実は凄腕のメダカハンターだと知って驚いていたが、その小鳥を野鳥料理として食べる人間は、小鳥の遙かに上をいく殺生の怪物の如き存在だ・・・。 

蟻の私は、はっと気づいた。頼りない草の船に乗りながら、天空に向かってこのように叫んだ。 
「分かりました。小鳥を”無駄な殺生するな”と叱った私でしたが、その叱ったはずの小鳥を食べた無知な殺生者でした。済みません。でも、どうすればいいのでしょう。殺生するなといっても、生きるためには、殺生はどこにも付いて回ります。いったいどうすればいいのでしょう?」 

しばらく、青い空を見上げながら、あの老人の声を待って、耳を澄ませていた。しかしいつまで待っても声は聞こえて来ない。どうしたんだろう?

・・・すると突然、ジ・ジ・ジ・ジ・ジ・ジ・ジ・ジとけたたましい音が耳元で聞こえてきて、目が覚めた。眠い目を擦りながら、目覚まし時計を手元に引き寄せると、時計に手の間に一匹の蚊が張り付いて死んでいる。時計には私のと思われる血のりが、べっとりと付いている。この蚊は、私の血を栄養として出産をしようとしていたメスの蚊だった。新しい命を宿すためにこの母なる蚊は、本能の命ずるままに私の血を吸い、不幸にして、死んでしまったことになる。殺生なことをしてしまったと一瞬思ったが、妙に手のひらが痒くなって、いつもの自分の感覚に戻って、急に血を吸った蚊が憎たらしく思えてきた。

でも待てよ、あの老人は、いったい何を私に伝えたかったのだろう・・・。佐藤  


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2000.11.21