流行り言葉で読む日本の世相(2)

「死んだらいいのに」



はじめてその言葉を聞いて驚いた。ちまたで「死んだらいいのに」という言葉が流行っているというの だ。お笑いテレ ビを見ないので、余りよく分からないのだが、ゲストに来たタレントの頭を見境なく叩くブラック・ギャグ(?)で有名な、ダウンタウンとかいう二人組がテレ ビで使ったのが始めらしい。

先輩の大物ゲストの頭を平気で叩く感覚にも驚くが、他人様に「死んだらいいのに」と、やんわり言う感性にもあ然だ。

人間にとって最も大切なはずの「命」を「落とせ」というのは、究極の言葉の暴力である。それを婉曲に「死んだらいいのに・・・」と使って許されるタガの緩 んだような日本社会にも呆れてしまう。おそらく、昔であれば、他人様にそんな言葉を使って良いのか、とどやしつける人間が間違いなくいたはずだ。

しかし昨今は、そんな一線を越えるような行動や言葉を使っても、何となく許されてしまう社会風潮がある。もし仮に、頭を叩くギャクを、かつての大島渚や野 坂昭如のような猛者たちにでもやった日には、スタジオ中が壊れるような大騒ぎになり、テレビ局の責任者は、クビになっていただろう。

これはテレビに出る芸人の地位のようなものが以前より認知度が高くなり、何となく一線を越えるようなギャクをやっても、許されるような風潮が出て、芸人自 身に自己慢心が出てきているせいだろう。

国家社会にも人間個人にも、自制というものがいる。ここまでは許されても、それ以上になったら、国家であれば戦争に突入し、個人であればケンカになってし まう。それが自制の限界点というものだ。ところが、テレビを含むマス・メディアには、マスコミ幻想のようなオーラとは言わないが半透明な霧のようなものに 包まれて、ギャグとして許されてしまう空気が蔓延しているように感じる。

酔えば裸になって、一時NHKも乾されてしまった関西の中堅落語家がいる。それがいつの間にか、またNHKの地方番組にも復帰しているようだが、いったい 彼らの芸の何が面白いのか。ファンだという人間に一度真剣に伺ってみたいものだ。きっと質問したら、テレビに出ているから何となく親しみが、とか何とか言 うのだろうか。

私の知人に、三十年近い芸歴を持つ咄家(はなしか)がいる。自慢ではないが、彼は一度もテレビに出たことがない。高座で聞くと、実に味のある人情咄をす る。声の張りもあり、江戸の人情がしみじみと伝わってくる。ところが、彼の顔など誰も知らない。

テレビに登場するお笑いの質は、そのままマス・メディアの品性の裏返しであり、またどこかで一線を越えた低俗な笑いを求める日本人の欲求と合致しているの であろう。

さて「死ねばいいのに」という婉曲な言い回しを、最後に哲学すれば、声高に「死ね!!」と、相手に言う以上に、じわりと心に滲みて来て、一種の行動プログ ラムを相手の脳みそに植え付ける効果が考えられる。

人間の行動は、「死ねばいいのに・・・」というような相手の心の空虚な部分(無意識)に置くような言葉が危険となる。つまり、自分に悩みがあったり、自信 を喪失しているような人間にとって、これは自殺をそそのかす言葉ともなる可能性がある。問題なのは、マス・メディア自身の道徳心の欠如というよりは、この ようなとんでもない「ギャク」や「言葉」を許してしまう自己免疫力を失っている日本社会にあるのかもしれないと思うのだがどうだろう。



2007.5.23 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ