戦争は人間の本能か?! 



 
 

今月の岩波文庫の新刊(赤版)に「ギリシア・ローマ名言集」(柳沼重剛 編)というのがある。180ページほどの小著だが、思わず手に取って、パラパラとめくると、たまたま「戦争」の箇所に当たった。そこにこんなことが記されていた。

「あらゆる戦争は、起こすのは簡単だが、やめるのは極めて難しい、戦争の初めと終わりは、同じ人間の手中にあるわけではない。始める方は、どんな臆病な者にもできるが、やめる方は、勝利者がやめたいと思う時だけだ。(サルスティウス『ユグルタ戦記』83.1)

これを読んだ瞬間、頭の中に様々なことが、浮かんだ。
・・・ベトナム戦争。そして日本人が600万人も死んだ太平洋戦争、黒いキノコ雲が立ちのぼる広島と長崎の悲惨。黒澤映画の「乱」で馬がスローモーションでのたうっている姿。黒澤がシェークスピアのマクベスを翻案した「蜘蛛の巣」で、三船敏郎扮するマクベスの首に矢がつき刺さる光景。

戦争というものは、確かにギリシャの人間たちが考えたように、意外につまらないきっかけで始まるものである。トロイの戦いも、ひとりの美しい女性を廻って、戦いの火ぶたが切られた。そんなものだ。もちろん背景には、政治経済の力が働いているかもしれないが、戦争というものは、どうであれ、男の闘争本能に由来している可能性が高い。つまり男の遺伝子の中に、戦う本能が組み込まれているのである。

でも人間というものが、もしこの地上の王者であろうと、するならば、やはり自らにある悪しき本能というものを見極めて、理性の力でそれを無に帰してしまうことだってできるのである。

ギリシャの喜劇に、アリストファネスの作で「女の平和」というものがある。これは女性たちが、セックスを拒否することで、男たちの戦争を止めさせるという喜劇である。生殖もこれまた男の本能であるから、作者は、本能を別の本能をもって制止させようした一種の創作の知恵である。

あらゆる「戦争は、起こすのは簡単だが、やめるのは極めて難しい」のである。戦争の本能に目覚めたアメリカ人の魂(無意識)とドイツの外相に「現代のヒトラー」と名指しされたブッシュ大統領にこの言葉を贈りたいものだ・・・。

佐藤
 

 


2002.12.23
 

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