選挙と日本人

ー07年都知事選挙の民俗学的レポートー
佐藤弘弥

  1 政権交代が起きないのも日本の文化?!
 
 いよいよ、4月8日の「07年統一選挙」が近づいてきた。今年の統一地方選挙の特徴は、各地で政党が存在感を失っていることである。

激戦と言われる東京都知事選でもこの傾向は変わらない。現職の石原慎太郎候補も対抗馬と目される浅野史郎候補も政党色を排除することに躍起になっている ように見える。このことは、政党の掲げる政策や方針が、単純に地方政治において通用しなくなっていることか、あるいは全国に拡がった格差拡大の流れに政党 が政策的に対応しきれていないことを物語るものかもしれない‥‥。

そんなことを考えていた昨日、新宿の本屋で何気なく『憲法は、政府に対する命令である。』(平凡社 2006年刊)という妙なタイトルの本を手に取って みた。著者はダクラス・スミス(71)というアメリカ人で、米海兵隊出身という変わり種の政治学者だ。現在、教授として津田塾大学で教鞭をとっているとい う。

本の表紙には「天皇は又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負ふ。(日本国憲法第99条)」と、タテに大 きな字が踊っている。裏には、「イソップ物語の『狼と少年』の話しが、アメリカ人特有の皮肉めいたジョークで「憲法を食べに来る狼」として比喩的に書かれ ている。ホントに妙な本である。

パラパラとめくり、第9章(「政治活動は市民の義務である」)で、私の目が止まった。そこにはこんなことが書いてあった。
 「『日本独自の選挙文化』‥‥日本の場合、選挙は民主的だろうか。確かに日本には言論の自由があり、野党があり、秘密投票になっており、公正な選挙がで きる条件が備わっている。しかし日本の歴史において、本当の意味で選挙によって体制を倒すような政権交代はまだ一度も起こったことがない。そのため、有権 者は頭ではいくらそれが可能だとわかっていたとしても、その歴史的体験がない以上、信じがたいことだろう」

「日本独自の選挙文化」という指摘に「なるほど」と笑ってしまったが、少しして選挙という権利を正しく行使していないという指摘に日本人である自分が恥 ずかしくなった。著者スミス教授の発言は、とりわけアメリカの大統領選挙において、共和・民主の両二大政党が、4年毎に大統領選挙でしのぎを削り、その選 挙結果が、国際政治にもドラスティックな影響を与えるものであることを踏まえて言っているようにも感じられた。

確かに日本の選挙は、アメリカと比べてドラスティックな変化ということが起きにくい。いやまったく起こったためしがない。これを「日本独自の文化」と言わ れると、妙な恥ずかしさがこみ上げて来る。

ところで日本に選挙による政権交代が起きない理由についてスミス教授はこのように説明している。
 「日本の与党の特徴は、選挙運動の際、テレビや街頭での演説は公的言語を用いるが、票を取るときは私的言語を用いるというところにある。」ということだ そうだ。早い話が、日本の選挙民の投票行動は、「自分の地域に道路や鉄道を持って来た党、自分の息子の仕事を探し、娘の仲人になった政治家に入れることが 多い。したがって、与党の政策が必ずしも国民の考え方を代表しているとはかぎらないのだ」

 このことは、日本の有権者が、政党の政策に賛成したり共感をしたりして投票行動にでるというよりは、目先の利益などによって候補者と結びつきが生まれ て、選挙に関わっているところに、日本の選挙の特徴があり、それがひいては日本独自の選挙文化を形成しているということになる。

つまり日本人にとって、「選挙」というものは、国の舵取りや地方行政の長をどちらの党に託すかというように思考するのではなく、とりあえず自分にとって の目先の小さな利益を得ることを最優先に考えて投票行動に出る。とすると、利益を地元に誘導し得る立場にあるのは、長いこと権力に付いている与党が圧倒的 に優位に立つことになる。日本に政権交代が起きないのは、この辺りに原因があるようだ。

現在の日本人にとって、二大政党時代が来るという期待は、「来る来る」と言われながら、一向に来ないイソップの「狼」のようなものだ。何度も「来る来る」 と耳にタコができるほど聞かされているので、いつしか日本人は、選挙というものに、ほとんど期待を持たなくなった。

 それだけに、日本の選挙には、どことなく白けたムードが漂う。選挙を一生懸命やっているのは、候補者自身とプロ有権者とも言うような組合や宗教団体や選 挙好きな人々ということになってしまう。たいていの人は、よほど候補者との関係がある場合などを除き、傍観者を決め込み、支持者なし、支持政党なしで、選 挙に行ったり、行かなかったりする。「無党派」と言うと、一見「無頼の徒」ような響きがあって、カッコ良く聞こえるが、その実態は根無し草そのものであ る。

無党派の心理としては「自分の一票を入れたところで、状況は変化しない」という思いがある。彼らは「選挙」も「政党」も信じてはいない。これでは投票率が 低くなるのも無理はない。

しかしよくよく考えてみれば、この無党派層の増大すればするほど、投票率が低くなって、プロ有権者のような人たちに取って有利な選挙結果となるのであ る。つまり無党派の存在が、自民党一党による長期政権存続の原動力(生命維持装置?)となって働いているのである。別の言葉で言えば、政治に白けた無党派 層の存在こそが、「日本独自の選挙文化」を形成しているのである。

それに昨今の選挙は、公職選挙法の改正によって、政治家が選挙民にあらゆる面でオンブにダッコ状態になってしまった。かつて選挙に立候補する人間は、そ れこそ自腹で選挙資金を出していたが、今は公職選挙法の変化を良いことに、タカリの構図(候補者が支持者に)のような状況も多分に見受けられる。これも 「日本独自の選挙文化」と言えば文化かもしれないが、余り美しいものではない。選挙に金が掛かり過ぎるとの反省がとんでもない方向に行ったものだ。

日本人は、選挙というものを、もう一度根本から考え直してみる必要がありそうだ。選挙がある度に、無党派が選挙の趨勢を決めると言われて久しいが、冷静 に事実を検証すれば、政治的に興味と失っている人々(無党派層)の拡大こそが、戦後50年以上もほとんど政権交代なしに一党が政権の座にあるという異様な 政治状況をつくり出してきたのである。

やはりこの辺で、日本でも、健全な選挙が行われることを期待したい。そのためにも、私たちは、まず自分たちを、「無党派」などと規定したりすることを止 めるべきだ。そして来るべき4月8日の「07年統一地方選挙」当日には、思いを込めて大切な一票を投票箱に投じたいものである。


 2 「東京ナショナリズ ム」と都知事選

いよいよ、東京にも各候補のポスターが貼られ、有権者の気持ちもピリピリしてきた。そんな昨日、駅前でばったり会ったある知人が私に、「佐藤さんはどこの 出身だっけ?」と聞いてきたので、「宮城ですよ!」と言ったら、知人は「頼むから浅野さんを宮城に連れて帰って、一緒にお米でも作ってくださいよ!!」と 唐突に言った。私は「何でそんなことを言うのかな?」と思いながら、無言になってしまった。

もちろん、この「浅野さん」とは、東京都の都知事選に立候補者の浅野史郎氏である。知人は、半分冗談のつもりで軽口を叩いたと思う。しかし私はこの発言 の中にある種の「東京エゴ」あるいは「東京ナショナリズム」のような空気を感じ、冗談で返す気持ちがどうしても起きなかった。

この言葉の前提には、テレビの浅野発言や他の候補との討論があって、その上での知人は、浅野氏に苛立ちのようなものや違和感をもったものであろう。「宮 城に帰ってお米でも作れば」という発言の奥には、「宮城の住民が東京に来てブツブツ文句があるならば、もっと東京のことを知ってからにすれば!」という浅 野候補に対するいささか乱暴な拒否反応(無意識に近い)が潜んでいるのではないかと思った。

もしそれが当たっているとしたら、この知人の中に芽生えた心理は非常に危険な徴候である。このところ、多くの東京都民と話す中で、石原候補の発言やその 精神性に、シンパシーのようなものを感じる人が多いことを肌で感じるようになった。このままで行けば、石原慎太郎候補が、圧勝してしまう可能性すらある。

私は、単純に「石原候補が悪い、浅野候補が良い」ということを言いたいのではない。各候補のマニフェストやこれまでの実績や発言などを厳密に分 析した上での判断であれば、石原氏支持はまったく問題がないと考える。しかし、今東京で醸成しつつあるムードは、自分自身の理性的な判断がやや欠けてい て、言ってみれば「石原幻想」のような無批判な心情が出来上がりつつあることに大いなる危惧を感じる。

別の言葉で言えばこれは「空気」というようなものだ。東京都民の中に私が感じるある候補を無批判に受容していくこの「空気」のようなものは、私からすれ ば、「東京ナショナリズム」という一種のヒステリーと言ったもののように感じる。この極端になったものが、軍部の暴走を許し、第2次大戦の敗戦という大き な悲劇を招いてしまった熱狂的な軍国主義的愛国心であった。

第2次大戦下では、誰しもが軍国主義者に成り下がらねば、「非国民」のレッテルを貼られるような怖い時代だった。もちろん今醸成されつつあるものを、そ れと同列に扱うことは出来ないが、仮に東京生まれでない者が、東京の知事になることを許さない、というような空気が、東京都民の間で内々に醸成されつつあ ることに、私は脅威を感じるのである。もちろん私の思い過ごしであれば、それに越したことはない。

私が考える「東京ナショナリズム」あるいは「東京エゴ」は、ある種のヒステリー症状を伴うものだ。その症状の特徴は、理性的批判において、その論理を打 ち負かすと、相手はますます頑迷となり「東京を分からない人では駄目」「東京は特別な都市」「それに文句があるなら、自分の地方に帰ればよい」という乱暴 な思考で、受け入れを拒否するような徴候である。

最後に、今回の「東京ナショナリズム」という「空気」が醸成される過程を考えてみたい。

まず、浅野氏が立候補する過程で、石原氏が「どうして宮城県で知事やった人が東京に来るのかね」あるいは「江戸っ子は、ああいう人どうかね」という趣旨の 発言で浅野氏を牽制。ここに都民の潜在意識に言葉の種を植え付けるレトリック(プロパガンダ)がある。

その間に色々あって、決定的だったのは、オリンピック開催についてのテレビ討論でのことだった。石原候補は「日本人には夢が必要。国家にも、人にも国威 発揚のようなものがいる」と発言。それに対し、浅野候補は「国威発揚などという言葉自体が、時代錯誤も甚だしい。オリンピックは最優先課題ではない」と 語った。

ここに石原候補の本音がある。と同時に、人を無批判なヒステリーに導く言葉のレトリックがあったと思われる。誰しも夢が必要なのは、分かる。国家におい ても夢は、必要だ。そもそも近代オリンピックそのものが、ナチズム体制下のドイツでは、国威発揚のために、民族の祭典として喧伝され、間違いなくプロパガ ンダとして政治的に利用され、その後も国際政治の道具として、散々に利用されてきたものである。何故か、どんな人間でも、オリンピック開催期間だけは、熱 にうなされるような精神状態になり、ナショナリストになるものだ。

石原候補は、無批判な政治的熱狂を醸し出すような取って置きのレトリックを使った。それが「オリンピック」であり、「国威発揚」という非常に荒っぽい言葉 だった。

私は「ナショナリズム(愛国心)」というものを全否定する人間ではない。ナショナリズムの原点は、故郷の山河を愛することであり、故郷の父母を敬う精神 に通じる。これは美しい感情である。しかしナショナリズムには、大まかに言って、二筋の流れがある。ひとつは自己愛に固執し、そこに埋没してしまう「狭量 なタイプのナショナリズム」であり、もうひとつは単純な自己愛への執着を捨て「世界各国の人々の国情の違い」や「貧富の格差」などに十二分に配慮し、その ことに思いやりを持って接する「寛容なタイプのナショナリズム」である。

私は後者の「寛容型のナショナリズム」を支持する。その最大の理由は後者のそれが「世界精神」に通じる寛容さと普遍性を宿していると思えるからである。

以上のことを踏まえて考えるならば、今回の都知事選の根底には、ナショナリズムをめぐる対立軸も存在しているのである。つまり現在の東京一人勝ちの状況 をどのようにして是正し、どのようにして東京と地方の格差を解消するか、ということもまた今回選ばれる新都知事の重要な仕事になるはずだ。少なくても、私 は現在のように、東京ばかり、いい思いをするような都政ではいけないと思う。そんな流れを容認する空気としての「東京ナショナリズム」に、私は「ノー」と 言いたい。いや「ノーと言える都民」でありたい。

さて、この東京一人勝ちの問題であるが、ひとり石原候補だけではなく浅野氏や他の候補も明確な是正プランを提示しているとは言えない。その意味でも、東 京の有権者は、この選挙期間を通じて、各候補の政策立案にも積極的に意見を申し述べていく姿勢が必要になる。もしも仮に意見が言えないような候補であれ ば、そんな頑迷な候補は当選させなければよいだけの話である。


3 浅野史郎氏都知事選大敗の構造

 思わぬ大差
07年4月8日(日)、開票がはじまって30分あまり、午後8時半には、ある民放局が、「石原慎太郎候補当確」のテロップを流した。
 
誰がこれほどまでの大差がついて、浅野史郎候補が大敗すると予想しただろう。

<都知事選確定投票数>

石原慎太郎候補 2,811,486
浅野史郎候補  1,693,323
(東京都選挙管理委員会)

2,811,486+1,693,323=4,504,810 。
この結果、ふたりの合計を100%とした投票率は以下のようになった。

石原候補 62.41%
浅野候補 37.59%

対立候補の石原陣営すら、もう少し接戦になるものと思っていたフシがある。しかし現実は、もはや動かし難い。

この予想外の大差には、何らかの原因があるはずだ。

私は大きく分けて、原因は以下の六つほどあると考える。

1.はじめ民主党の立候補を拒否し、勝手連方 式で立候補しながら、後に民主党の選挙応援を受け入れた優柔不断な態度。

2.高級官僚(旧厚生省 タミフル問題も起こっている)出身であること。

3.宮城県知事時代、県の財政赤字が倍近くに増加した点について、「これは国の政策もあって」と開き直りとも取られかねない発言をしたこと。

4.勝手連方式の選挙運動の限界。結局無党派層の広範な支持の導火線に繋がらなかったこと。

5.石原候補に対して明確な対立軸を示せなかったこと。(福祉と情報開示を重点とした社会的弱者優先の政策が、東京都民の大多数の利害や意識と乖離してい たこと。)

6.現実的に、埼玉県の上田知事、神奈川県の松沢知事など、首都圏連合と言われる民主党系の知事までが、石原支持に回るなど、民主党支持者が、石原候補に かなり流れたこと。


 勝手連的選挙の終焉と基本戦略の欠如
以上のことから、浅野候補の敗北の最大の原因は、勝手連を中心とした選挙運動にあったと私は結論付けざるを得ない。当初、浅野候補担ぎ出しに成功した勝手 連の動きであるが、彼らはある種「選挙プロ的市民」であって、しかもその中には、リベラルというよりは左翼に近い人たちもいて、広範な政党支持者なしとい う無党派層のハートを掴むことが出来なかったことがすべてだったと思われる。それは宮城で成功した勝手連方式という選挙スタイルが、時代的にか東京という 地域の特性のためかは議論は分かれるが、通用しなくなっているということである。

石原都政の権力構造の中心には、潜在的に「東京再開発」というものを強力に推進する勢力が存在していると言える。この中心には、最近の「東京ミッドタウ ン」のオープンに象徴される不動産デベロッパーやゼネコン企業が、今後の巨大な利権を狙って石原都政に強い支持を表明しているのである。「オリンピック」 も「築地移転」も今回飛び出した「多摩シリコンバレー」発言も、その延長線上にある。

本来、浅野候補は、このような石原都政にストップをかけて、「東京再開発」からの脱却とそれに対抗する21世紀型の政策を有権者の前に「提示」しなければ ならなかった。

例えば、石原「東京再開発」都政に対し、浅野「東京高度情報福祉都市」を掲げ、IT産業や情報産業に協力を要請して、東京を世界一の高度情報都市にすると 宣言し、あらゆる都民サービスをインターネットを活用して実現し、同時に都政のコストカットを実現することで、福祉予算を拡充する方向を明確にする方向を 打ち出すことも可能だった。

浅野氏の当初からの戦術は、都民のマイノリティーである社会的弱者の熱い出馬要請に人間としての黙っていられないとして立ち上がったもので、それ自体は けっして間違っていなかったと思う。しかし問題は、余りにその社会的弱者の視点にのみ終始したために、大多数の無党派層、特に年収規模で言えば、700万 から1000万前後の人々や、年齢層で言えば、20代から40代にかけての働き盛りの比較的富裕な人々の心に訴えかけるようなメッセージを発することが出 来なかったことにある。これは煎じ詰めれば、やはり準備不足だったということが上げられると思う。

 格差是正に興味を示さない東京エゴの影
この都知事選の石原候補圧勝の示すものは、富める東京、ひとり勝ちの東京に住む都民は、その東京都と地方の格差が拡大しているという現実にあまり興味がな く、石原都政8年の流れを継続してよしと承知したことになる。

残念であるが、浅野氏がマニフェストで「東京都政を転換することにより、・・・いきいきとした日本を蘇らせます。」とした東京と地方の「格差是正」のメッ セージは否定ではないが、少なくても否認されたのである。私はここに東京人の「東京ナショナリズム」(東京エゴ)の影を見るのである。またこれは愚痴にな るが、慶応大学の教授である浅野候補を応援する学生ボランティアがほとんどいないのは大いに疑問だ。

東京に限らず、今回の統一地方選挙の結果は、ほとんど予想された通りの選挙結果となった。保守派候補の軒並みの圧勝である。残念であるが、日本人(全国の 有権者)は、やはり政権交代を欲していないようにも見える。


 4 長崎市長選 「弔い合戦」という日本的選挙スタイル(?)

  @ 反核平和運動のリーダーの死
 06年4月17日午後7時52分頃、長崎市長選で現職の伊藤一長市長(61)が、選挙運動中に選挙事務所に帰って来たところを至近距離から拳銃で撃たれ て死亡するという痛ましい事件が起こった。

 長崎は広島と並ぶ人類にとって最初で最後の被爆地であり、反核平和運動の聖地である。被爆した長崎市の市長というものは、否応なく反核平和運動の国際的 リーダーになる自覚とそれなりの見識を持った人物でなければ職責を全うできない立場である。

 それほどにシンボリックな意味合いを持ち、他府県の市町村の長とは少し色合いが違うことは確かだ。

 今回の惨劇には、国連事務総長の潘基文(パン・ギムン)氏も「平和な世界の唱道者で、核兵器の廃絶を求める平和市長会議のキャンペーンのリーダーでも あった」と伊藤市長を称え、「彼の家族と長崎市民、日本国民に深くお悔やみを申し上げたい」と弔意を送ったと伝えられている。

 これはおそらく伊藤市長が1995年秋、「核兵器の使用は国際法に違反している」と言明した国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)での証言や2005年に 「核兵器と人類は共存できない」(国連核不拡散条約再検討会議)と被爆した都市・長崎市長としての訴えが国際世論に広く受け入れられているためであろう。

   A 闇社会の市民社会への介入
 今回の事件は、民主主義の原点である選挙期間中に起こった事件という性格から、民主主義社会に対する闇社会からの挑戦の意味合いもある。

 現在日本中、広域暴力団の網の目が以前にも増して、市民の目には見えない状況となっている。かつては「暴力団風の男」という言葉があったが、現在この言 葉は死語となっている。理由は簡単だ。暴力団対策法(1992)によって、これまで「暴力団風の男」たちは、結局マフィア化し、市民の中にとけ込むような ことになって、見た目では見分けがつかなくなったためである。

 代わって「経済ヤクザ」などという新語がある。今回の市長を射殺した人物も、市民社会の中で、建築や土木などの事業に資金を出資しながら、生活している 人物だったようだ。犯行の動機については、数年前に起こした市の工事現場での自動車事故において市の対応が不親切で誠意がなかったことや、自分の出資して いる建設企業が市長の横やりが入って入札できなかったことを恨んでの犯行などと言われているが、もしも仮にその程度の理由で、1人の市長が殺されるなら ば、ほとんどの政治家は殺される運命にあるということになる。

 要するに今回の事件は動機があまりにも曖昧で不透明なのである。むしろ仕事も金もなくなって、上納資金にも事欠いて自暴自棄になっての一種の逃避的な犯 行、という方が近いようにも思える。この辺りについては今後の事件の解明が待たれる。
 
  B「弔い合戦」という選挙スタイル(?)
 さて私が今回の事件で一番興味深く思ったのは、市長が亡くなってわずか12時間後(4月18日午後2時)には、市長の長女の婿である横尾誠氏(西日本新 聞社勤務・40歳)なる人物が、突如として長崎市役所に現れ「22日の選挙に出馬する」と表明したことだ。これは公職選挙法によって選挙期間中候補者が死 亡した場合には、投票3日前までに補充立候補が許されていることを踏まえての行動であるから法的には何ら問題はない。

 横尾氏は、19日に立候補し、22日には結果を聞くことになる。たった3日で言葉は悪いが、誰も予測もしなかった人物が市長になるのである。これは俗に 「弔い合戦」という選挙スタイル(?)である。それにしても素早い対応で、善悪の判断を超えた日本的な決断としか言いようがない。私はこのような政治行動 は、伊藤現市長の経歴を穢(けが)す行為であるとはっきりと主張したい。だから出来ればお止めなさい、と言いたい。例えば、伊藤市長の右腕となって働いて きた人物ならば、まだ話が分かるが……。

 私が横尾氏の立候補に反対する理由は明確である。先に述べた通り、長崎市長という立場は、世界の反核平和運動のリーダーになりうる人物を選ぶことであ り、昨日今日まで、まったく別の世界で生きていた人間が、いきなり長崎に来て市長になるなどということは民主主義の原点である選挙に対する冒涜であり、政 治不信を招く元凶と言ってもいいのではあるまいか。また少し蛇足的ではあるが、火曜サスペンス風に言えば、どこか架空の首長選挙で今回と微妙なタイミング で当選確実の現役立候補者が殺されるという事件が起こりかねないと思う。これは公職選挙法に見つかった法律の穴というべきだろう。

  C 皇室制度→家元制度→世襲政治
 「弔い合戦」という選挙スタイル(?)の多くは、身内が跡を受け継いで立候補するのが基本だ。日本の政治が世襲的傾向を強めていることは周知の事実だ。 現在の安倍晋三首相からはじまって永田町は、2世議員、3世議員ばかりが目立つ異様な社会である。日本的制度として「家元制度」というものがある。「生け 花」や「お茶」など、「何とかの家元」と名のつく「家」がヒエラルキーのトップにどっかりと座るのである。そしてこのトップに坐る家元というものは、特に 技量の優れたものというよりは、皇室制度のように象徴的な世襲によって、次の代に権力としての座を引き継ぐことに心血を注ぐことに特徴がある。

 その意味では、社会システムとしてこの家元制度は、日本社会の中で連綿と続いてきた天皇制の擬制の上に作られたものと見なすことも可能となる。つまり 「弔い合戦」の選挙スタイルもまたこれと同じで、天皇制や家元制度と同じく日本的権力維持の発想が基礎となって徐々に形成された来た一種の風習なのであ る。

 この辺り、選挙というもの、世襲制のようなものにいつの間にか収れんしていく日本人の考え方のクセというものが、選挙や社会のあり方にも反映して、およ そ海外の人たちからは理解しがたい「弔い合戦」などという奇妙な選挙スタイル(?)も生まれてきたのであろう。


 5 07年統一地方選挙で政権交代は見えたか?!

日本にとって、今回の07年統一選挙は、日本において政権交代の可能性を占う卜占(ぼくせん)のようなものだった。

そこで出てきた第一の卦(け)は、知事選で見えたのは、現役知事の強さという陰の卦であった。特に都知事選での浅野陣営の大差の敗北は、日本社会における 民主主義の未成熟を感じさせる結果だった。

そして昨夜に出た第二の卦は、参議院選補選において、沖縄自民・福島民主の一勝一敗で、五分。夕張市民、国立市民、長崎市民たちが主役を演じた選挙結果に 示されるように、自分たちの思いを実現してくれるリーダーは自分たちで選ぶという強い市民の意思のようなものを感じた。

まず夕張である。企業ならば倒産にあたる「財政再建団体」(2006年3月6日)となり、あらゆる住民サービスが切り詰められる中で、日本中の視線が今回 の夕張市民の選択に集まった。日本中から7名の立候補者が夕張に集合し、賑やかな選挙戦が展開された。四国から来たという助役経験者、青森在住の名物金満 経営者など、かぐや姫に求婚する海千山千の男たちに見えた。その中に、地元夕張出身者で札幌でタイヤ販売会社を経営する藤倉肇氏(66)がいた。「ふるさ と夕張のために尽くしたい」、「高齢者や子どもたちを守りたい」、「企業経営のノウハウを夕張再建に生かしたい」などの心を込めた訴えが、「再建にはお金 も掛かる」とした青森在住の名物経営者を僅差ではね除けての勝利だった。様々な当選理由はあると思うが、かぐや姫ならぬゆうばり姫の心は真心に動かされた のである。

続く国立市長選。上原前市長の市政を継承するとして当選した関口博氏(53)は、前市長の全面的支援を受けての選挙戦だった。もしもこの国立に石原都知事 に近い市長が当選すると、反石原陣営の首長は居なくなる。その意味で、ここはリベラル派の最後の砦だった。事実、石原都知事は、知事選の余勢をかって街宣 車で乗り付けて、上原市政8年で国立は疲弊したと、中央との結びつきをを声高に訴え、多摩地区シリコンバレー化構想とのリンクを馬の鼻先にぶら下げるニン ジンのようにして強調したのであった。しかし懸命なる国立市民は、学園都市国立の美しい景観を保全する政策を継続する関口氏を自分たちのリーダーとして選 択したのである。

最後の長崎。長崎においては、選挙中の悲劇があった。それは現役の伊藤一長市長が、暴力団の幹部によって、射殺されるという前代未聞の事件だった。一日も 経たない間に、娘婿と称する人物が東京から招へいされ、公職選挙法上、許されることとは言え、「三日だけの選挙戦で、まったく長崎市政と関係のないところ にいる人間が市長の座に就いていいのか。それは世襲的ではないのか?」という素朴な疑問が湧き上がった。大方の人は、「そこは日本人。弔い合戦は、勝利の 方程式。まず落選することはない」との予想をした。ところがどうだ。長崎市民は「歴史ある長崎市長が決まるようではいけない」と急遽立候補した前課長職に あった田上富久(50)を、市長として選択をしたのである。

この三つの選挙の中に、市民自治の精神というものが、しっかりと根付いていることを感じる。来るべき参議院選挙において、日本各地の市民は、より政権交代 に向けて、現実的な一票を投ずるようになるのではないかと思う。

最後に蛇足になるが、私たちは、何も自民党が嫌いで、民主党が好きなのではない。只々、政権交代可能なフレキシビリティにあふれた日本に期待しているだけ なのである。


 6 結語 「選挙と日本人」 政権交代を可能とする精神風土の構築へ

07年統一地方選が終わった。改めて、「選挙」というものが日本人にとってどんなものであるか、考えてみたくなった。

日本人に限らず選挙というものは、どこか心惹かれる何かがある。その理由はさまざまあるだろう。ひとつはやはり、政治への参加意識があるかもしれない。少 しうがった見方をすれば、とかく日頃には威張りくさっている政治家が、選挙の期間だけは、急に腰が低くなって、ぺこぺこしたり、おべんちゃらを使うように なるのが、快感なのだろう、と思ったりもする。

子どもの頃に、テレビに出る有名な代議士がわが家にやってきて、父に向かいタスキを掛けた代議士が「従兄弟(いとこ)」と呼んで走りよってきた姿をよく覚 えている。

父に「あの先生とは親戚なの?」と真顔で聞くと、「ああそうだ!」と少し笑みを浮かべて言った。それ以来、あのテレビに出る有名な先生は、親戚だ、などと 友だちに言って鼻高々になったりしたが、「親戚」であるはずもない。あの政治家が言った「従兄弟」といは選挙の「方便」だったのである。この「従兄弟」と いう一言の中に、選挙の持つ魔力のようなものが隠されているのではあるまいか。

通常政治家は、選挙というものによって、四年(参議院は六年)に一度、議員は選挙民の審判を受ける。そこで選挙民の意にそわない者は落選の汚名を着て、次 の選挙に備えなければならない。

国会議員でも、若手のうちは特に、日頃の選挙民との付き合い具合が、大切になる。油断をすると、たちまち選挙浪人となって生活に困窮することにもなりかね ない。

考えてみれば、日頃、会社の上司や女房や借金取りに頭の上がらない私たちグータラ亭主が、選挙になると俄然張り切る傾向にあるのは、この時に、一票を頼 む、と言われる時の快感のようなものがあるのではないかと思う。また最近では、フェミニズムの高まりの影響もあると思うが積極的に社会運動に参加し、ある 人は議員になったり、また積極的に自分の支持する候補者を応援する姿も目立っている。まだまだ女性議員が少ないという声も聞かれるが、今後は芥川賞や直木 賞受賞者の顔ぶれに見られるように、女性優位の時代になることだって、考えられないことではない。

現在選挙は、一段と組織選挙化していて、一般市民にとって、少し選挙というものから、遠ざかってしまう傾向にある。最近の「無党派層」と呼ばれる人々が大 量に存在している背景には、特に都市部の市民の中で地域のコミュニティが崩れてしまい、近所付き合いが極端に少なくなるなどの社会構造の変化があると思わ れる。

ただ「無党派層」とは、政治的にまったく無関心という人ばかりではなく、政治に強い関心を持ちながらも、現在はたまたま「支持政党」をもっていないという ことで、選挙の度に是々非々の態度で投票をする人たちも少なくないということを知っておくべきである。

但し有名人であっても、共和党、民主党のどちらを支持するかをはっきりと発言し選挙応援も公然とするアメリカ社会と比べ、日本人の場合は、自分の支持者や 政党などをあまり人前で、はっきりと言わないケースが多いのではと思われる。極端な例だが、夫婦の間でも、互いに誰に投票するかを明かさないケースもあ る。

日本人にとって、選挙というものは、イギリスのマグナカルタ(1215)やアメリカの独立宣言(1776)、フランスの人権宣言(1989)などのよう に、市民が辛酸を舐めながら自らの手で戦いとった「権利」という意味合いをも持たないことものである。ここから日本人は、選挙を市民としての権利の行使と いうよりは、ご近所付き合いの延長として考えてしまうのかもしれない。別の言い方をすれば、勝ち取ったものと与えられたものという違いがあって、日本人 は、西洋人に比べて、選挙に淡泊であるというよりは、市民としての権利意識が稀薄なのではあるまいか。

歴史を辿ってみれば、確かに日本という国家は、明治政府が、主にドイツに学んで、衆議院(1869)、貴族院(1890)などを開設し、選挙制度が導入さ れた経緯がある。要は一般の国民からすれば、選挙は遠いところでの出来事でしかなかったことになる。

太平洋戦争の敗北後、戦勝国アメリカの占領下において、日本国憲法(1946)が制定され、国民主権の基本理念が確立し、選挙がはじめて日本人にとって身 近なものとなったのである。そんなことも、日本人の選挙に対する認識には働いているのである。

しかしこれからの日本人は、この辺りの認識を考え直す必要がありそうだ。選挙は、単なる地元への利益誘導のための代弁者選びの機会ではないはずだ。結局そ れでは、選挙は地域エゴのための権利行使でしかなくなってしまう。しかもこの地域エゴは巨額の資金を地方にばらまく公共事業と結び付き、あるいは農協など を集票マシンとして維持されてきたものである。

私は、以上のことから、推測して自由民主党結党以来(1955)、半世紀以上も延々と一党によって日本の政界が独占されてきた理由は、次の3つの原因が あったのではないと考える。

第一は、「地域エゴ」の選挙が、いつの間にか主流になって構造化していったこと。第二には、自民党という党が絶えず中央の官僚たちを取り込んで、国民に中 央との結びつきがいかに大切かを強調してきたこと。第三には、世界的な仏教哲学者故中村元博士(1912ー1998)が言っていることであるが、「与えら れた現実を容認」するという日本人の根底にある思考法である。中村博士によれば「(日本人は)生きるために与えられている環境世界ないし客観的諸条件をそ のまま肯定してしまう・・・」(「日本人の思惟方法」(中村元選集第3巻所収 春秋社 1989年刊)とのことである。

私は、第一の「地域エゴ」の発想、第二の官僚を絶えず取り込んで来たこと、第三の「現実肯定の思考」の三つが結び付いた時、世界でも極めて稀な政権交代が 起きない日本独特の政治風土が出来上がってしまったと考えるのである。

もちろんこれは私の仮説であるから、人に押しつけるつもりは毛頭ない。しかしながら日本人は、どんな理由があるにせよ、「選挙」というものに対する認識を 劇的に転換する時節(タイミング)に来ていると思うのだが、どうであろう。


2007.3.20-4.26 佐藤弘弥

義経伝説
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