07年統一地方選挙寸評


政権交代の光 が見える結果


日本にとって、今回の07年統一選挙は、日本において政権交代の可能性を占う卜占(ぼくせん)のようなものだった。

そこで出てきた第一の卦(け)は、知事選で見えたのは、現役知事の強さという陰の卦であった。特に都知事選での浅野陣営の大差の敗北は、日本社会における 民主主義の未成熟を感じさせる結果だった。

そして昨夜に出た第二の卦は、参議院選補選において、沖縄自民・福島民主の一勝一敗で、五分。夕張市民、国立市民、長崎市民たちが主役を演じた選挙結果に 示されるように、自分たちの思いを実現してくれるリーダーは自分たちで選ぶという強い市民の意思のようなものを感じた。

まず夕張である。企業ならば倒産にあたる「財政再建団体」(2006年3月6日)となり、あらゆる住民サービスが切り詰められる中で、日本中の視線が今回 の夕張市民の選択に集まった。日本中から7名の立候補者が夕張に集合し、賑やかな選挙戦が展開された。四国から来たという助役経験者、青森在住の名物金満 経営者など、かぐや姫に求婚する海千山千の男たちに見えた。その中に、地元夕張出身者で札幌でタイヤ販売会社を経営する藤倉肇氏(66)がいた。「ふるさ と夕張のために尽くしたい」、「高齢者や子どもたちを守りたい」、「企業経営のノウハウを夕張再建に生かしたい」などの心を込めた訴えが、「再建にはお金 も掛かる」とした青森在住の名物経営者を僅差ではね除けての勝利だった。様々な当選理由はあると思うが、かぐや姫ならぬゆうばり姫の心は真心に動かされた のである。

続く国立市長選。上原前市長の市政を継承するとして当選した関口博氏(53)は、前市長の全面的支援を受けての選挙戦だった。もしもこの国立に石原都知事 に近い市長が当選すると、反石原陣営の首長は居なくなる。その意味で、ここはリベラル派の最後の砦だった。事実、石原都知事は、知事選の余勢をかって街宣 車で乗り付けて、上原市政8年で国立は疲弊したと、中央との結びつきをを声高に訴え、多摩地区シリコンバレー化構想とのリンクを馬の鼻先にぶら下げるニン ジンのようにして強調したのであった。しかし懸命なる国立市民は、学園都市国立の美しい景観を保全する政策を継続する関口氏を自分たちのリーダーとして選 択したのである。

最後の長崎。長崎においては、選挙中の悲劇があった。それは現役の伊藤一長市長が、暴力団の幹部によって、射殺されるという前代未聞の事件だった。一日も 経たない間に、娘婿と称する人物が東京から招へいされ、公職選挙法上、許されることとは言え、「三日だけの選挙戦で、まったく長崎市政と関係のないところ にいる人間が市長の座に就いていいのか。それは世襲的ではないのか?」という素朴な疑問が湧き上がった。大方の人は、「そこは日本人。弔い合戦は、勝利の 方程式。まず落選することはない」との予想をした。ところがどうだ。長崎市民は「歴史ある長崎市長が決まるようではいけない」と急遽立候補した前課長職に あった田上富久(50)を、市長として選択をしたのである。

この三つの選挙の中に、市民自治の精神というものが、しっかりと根付いていることを感じる。来るべき参議院選挙において、日本各地の市民は、より政権交代 に向けて、現実的な一票を投ずるようになるのではないかと思う。

最後に蛇足になるが、私たちは、何も自民党が嫌いで、民主党が好きなのではない。只々、政権交代可能なフレキシビリティにあふれた日本に期待しているだけ なのである。


2007.4.23 佐藤弘弥

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