奇妙な光景

南北会談の真相



奇妙な光景だった。テレビを見ていると、南の指導者が、タラップを降りてくると、北の指導者が待っていて、手を握り合い、旧交を温める者同士のように、短い言葉を交わし合った。もちろん昨日の北朝鮮と韓国両首脳の南北会談での一コマである。

冷静に考えてみれば、今まで敵対していた者同士が、手を取り合うには、それなりの裏の事情があると見なければならない。つまり戦争には戦争をするなりの理由があり、敵視政策を転換して、和解の方向に進むには、それなりの裏の事情というものが存在するのである。でもそれが今回のように大々的なセレモニー化されると、ことの真相がセレモニーの華やかさにかき消されて分からなくなってしまいがちだ。

おそらく今回の雪解けの状態の意味を正しく理解している南北国民は、極めて少ないのではあるまいか。事の真相というものは、公然と闇の中に隠されている。何も今回の南北の政治的駆け引きだけではない。この世界の全ての真実が実は闇の中にあるのである。かといってその闇の中にある真相というものが、精密機械のような精緻な構造をしているのではない。それはむしろ「怒り」とか「飢え」とか「憎しみ」とか、おぞましいような人間の心情の上に築かれたある種の理性である。

国力や周囲の世界の変化を見たとき、北朝鮮と韓国が、戦争をしたとして、何の得がないことははっきりしている。この所、北朝鮮はロシアや中国に外交攻勢をかけ続けていた。おそらく古い社会主義的結びつきを修復しようとしたのではあるまいか。ところがロシアのプーチンからも中国の江沢民からも、現実の世界の政治状況というものを聞かされたに違いない。要するに北朝鮮指導者は、外交によって、これまでの政策の維持が不可能であることを、痛感したと考えるべきかもしれぬ。

今や世界の中で独立中立といっては言っては聞こえが良いが、孤立的な存在で国家というものを存続させていくことは不可能である。好むと好まざるとに関わらず、自分の政策を変えなければ国家が存立できない次元まで、来てしまったのである。だからあの二人の指導者の腹の中では、それぞれ別々の感情が蠢(うごめ)いていることは確かだ。安易に次ぎに何が起こるか、予想はできないが、北朝鮮に韓国の財閥グループが進出して、政治的結びつきを優先した形での経済の自由化が進んでいくことが考えられる。

どんなにセレモニーで隠されていても、隠せない本質というものがある。政治は、実は複雑なようで単純な論理によって構成されているのである。佐藤
 


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2000.6.14