桜    殿


わが家の庭に一本の桜の大木がそびえている。樹齢は三百年から四百年と推定される。高さは九m弱で、幹もかなり太い、その幹の部分が途中で折れて、穴があき、かなり腐蝕も進んできている。そこで樹木医さんに診てもらうこととなった。
 

しばらくして答えが返ってきた。するとこれまで吉野桜の古木だと思っていたものが、エドヒガン桜という種類の桜だったり、老木で寿命は幾ばくもないと思っていたものが樹齢は、やはり四百年ほどで、腐蝕も進んでいるが、ちゃんとした治療を施せば、さらに三百年から四百年の寿命はあるとの診察結果をいただいた。何か飛び上がりたいような気持ちがした。何しろ我々がこの地上からいなくなっても生き続けていけるというのである。これが喜ばずにいられようか。

古来より、この桜は、この四百年間、ずっとわが家族和合の象徴だった。だからわが家では、昔はこの桜が咲くと「桜殿が咲いてくれた」という言い方をしたそうだ。地元では「種まき桜」という名称で呼ばれていた。要はこの桜の花が咲く頃に、種を蒔くので、地元の農耕カレンダーの役割を果たして居たようである。

日本人は桜に対して独特の愛着を持つものだが、それは桜が一瞬で咲き、そしてあっという間に散ってしまうからかもしれない。すなわちその刹那の中に、人の人生の儚さと、己がそのように出来ぬ歯がゆさを感じるからではあるまいか。だから桜は、日本人の人生観を象徴する花となりえたのである。古来より桜は「花王」という称された。数多の花があるなかで、桜を「花の王」また「花の中の花」と見る日本人の心の中には、桜のイデア(観念あるいは超感覚的な価値)が形成されていると見て良さそうだ。

さて今月の末には樹木医さんたちの治療も終え、それから後一ヶ月もしないうちに、わが家の「桜殿」は、又今年も可憐な花を結んでくれるのであろううか。その日がとても待ち遠しい。

 歌二首 
      陸奥の栗駒山に春告げて種まき桜今日ぞ咲くらむ

      軒先に桜殿咲く頃を待つ種籾坊主それは吾(あ)がこと
 


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2000.4.14