桜さまざま(9)
新宿御苑の桜


西洋式庭園に咲く不思議な桜の佇まいー


佐藤弘弥


新宿御苑のさくら



新宿御苑の桜
(08年3月25日 佐藤弘弥撮影)



陽光という名の桜



東京タワーと桜





新 宿御苑の桜を見に向かう。この附近は、かつて徳川家の譜代大名内藤家(信州高遠藩)の江戸屋敷のあったところ で、内藤新宿と呼ばれていた。新宿駅の南口を出て、スロープを下り、新宿高校(実はこの名門校も内藤家敷地だった)の前を通り、新宿門から200円の木戸 銭を払い御苑に入った。

今はすっかり、東京の桜の名所となった新宿御苑だが、桜の園としての歴史は、さほど古いものではない。桜の木も意外なほど疎らで、古木と言えるほどの樹木 はない。

この新宿御苑は、明治維新後、内藤家より、譲られた土地と既に私有地かしていた広大な敷地58万uを合わせて、「内藤新宿試験場」として、国内の農業振興 のための一大拠点として用いられてきたものだ。

その後、この試験場で育成された菊三鉢が、明治33年(1906)のパリ万国博に出品され好評を博し、その時に知遇を得たベルサイユ園芸学校教授のアン リ・マルチィネに西洋式の庭園設計を依頼して、開苑の運びとなったものである。

折から、明治39年(1906の5月)の開苑式は、日露戦争の戦勝祝賀の儀として催されることとなり、その後この庭園は、皇居と隣接した立地もあって、皇 室との関係を深めて行く。太平洋戦争では、アメリカ軍の空襲により、ほとんどの 建物は焼失したが、戦後の昭和24年5月(1949)に「国民公園新宿御苑」として新たなスタートを切ったものである。

今では、首都東京を代表する庭園のひとつとなっている。

新宿御苑は、フランス式整形庭園、イギリス風景庭園、日本庭園、母と子の森の四つのパートで構成される。

新宿門を東に進む。桜によっても違うが、おおむね4分から5分咲きだ。時折、春風が木々を揺さぶるが、花びらは、しっかりと枝を掴んでいて、またまだ散ら ないよ、と言いたげだ。苑内には、多くの外国人がいる。西洋人だけではなく、中国語や韓国語などの話し声が頻繁に聞こえてくる。

この庭園の桜を見ながら、上野の森の桜とは違う雰囲気を強く感じた。それは桜があくまで主役なのだが、桜一辺倒で構成されていないという点だ。たまたま、 今桜の時期だから、桜が目立っているに過ぎないという言い方ができるかもしれない。

また、こういう言い方が許されるだろうか。桜の時節には、山全体が桜の森に見えてしまう上野の桜が、日本人が大好きな演歌ならば、どこまでもまばらで一見 物足りなくも見える新宿御苑の桜はドビッシーの「海」やラベルの「牧神の午後への前奏曲」などのフランス音楽のような色合いや風合いを感じる。

原因は、いつでも無料で入れる上野に対し、城戸口があり、200円という料金を徴収され、9時から4時という入苑時間制限もある新宿御苑の違いは大きいか もしれない。

もちろんそれだけではない気がする。上野にだって、フランスの近代建築の祖ル・コルビュジエの設計した国立西洋美術館が堂々と建っていて、その前庭には、 ロダンの「考える人」や地獄の門」などがある。けっして、新宿御苑に引けを取ることはない。

桜の有り様を比べて見ると、御苑の桜のイメージは、さまざまな色合い風合いが入り交じっていて、桜に狂うというイメージが薄い。これは良い悪いではなく、 そのような構想によって、出来上がっている違いのようにも思われる。

新宿御苑を廻って、おかしかったのは、上野に行ったならば、当然酒盛りに興じているであろう白髪交じりのおじさん達が、オーイお茶が何かのノンアルコール の飲み物を手にしながら、盛んに笑って会話をしていることだった。もちろん、この新宿御苑は、お酒の持ち込みは一切禁止だ。

だからだろうか。新宿御苑は、子ども連れの女性たちが多く見受けられる。子どもたちは、広い芝生の上を駆け回りながら、自由に遊び回っている。

不思議だったのは、この庭園で、携帯のぞき込んでいる人がほとんどいないこと。子どもも、もちろん小さなゲームを操作している子などいない。

私は、新宿御苑を回遊魚のように廻りながら、誰も他人が何をしているか、どこの国の人なのか、そんなことは気にせずに、平穏で静かな一日を楽しんでいると いうことを気づいた。さまざまな桜を見てきているが、このような印象を持ったことは始めてだった。どうしても桜と言うと、自分が日本人であることを意識 し、日本人と桜の強い関係を考えてしまうのだが、新宿御苑ではそれがない。

新宿御苑の桜のあり方は、ひとつの国や狭い境界を意識した考え方を越えたコスモポリタンな発想という拡がりを感じるのである。もしかすると、この印象は、 この庭園の基本設計をしたアンリ・マルチィネの思想が反映しているのかもしれない・・・。

イギリス風景庭園の中央付近から、東を見ると、都会の喧噪と隔絶されたこの広大な庭園に咲く桜の彼方に東京タワーが春霞の中に浮かんでいるように見えた。 狂おしくばかり見えた桜が、まったく違う花に見えた瞬間だった。



2008.3.27 佐藤弘弥

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