桜と日本人


馬場あき子氏の「さくら考」によせて


今年も桜が美しく咲いている。

歌人の馬場あき子氏は、読売新聞(四月三日付け)の「さくら考」に、「古代の桜は『農』の花です。・・・桜は初め山の花でした。・・・それが王朝時代には 山から里へ、貴族の庭へと植えられます。そして美の象徴となっていく。・・・近代百年で軍の花にもされてしまった。終戦後しばらくは桜を詠む気になれませ んでしたが、古典と能に桜を再発見できたのです。」と綴っている。

流石に当代一流の歌人である。氏は短いエッセイの中で見事に桜と日本人の関係を、自己の人生の感慨も含めて記されている。確かに、日本において桜は、人の 手をへて、山から里へ、里から都へ植えられていった。やがて日本中に繁茂した桜は、日本列島に住む人々の魂を象徴する「花」にまでなった。

桜の起源は、朝鮮半島の済州島にあるという故小泉源一氏の説(1939)もあるが、これには異論もあり定かではない。「櫻史」(1941年初版)という書 の中で、山田孝雄氏は、「櫻はわが国自生の樹木なれば太古よりありしこと疑うべからず」と、やや熱っぽく語っている。日本においては、花といえば、桜のこ とであり、桜を語る時、山田氏同様、日本人は訳もなく熱くなる傾向がある。

「農の花」の意味は、桜の咲く頃に、稲の種をまく習慣があったためと思われる。日本中に「種まき桜」と呼ばれる桜の古木が分布しているのは、その名残であ る。桜が咲く頃、日本人がそわそわする理由は、美しい桜の花が咲いてあっという間に散っていく儚さもさることながら、一年の収穫の優劣を決定する種もみを 急いでまいて苗を育てなければならないという、農の国日本の歴史的民俗的な経験も根底にあるのではないかと思うのである。

戦後の一時期桜を歌に詠む気になれなかったという馬場氏の思いを、桜という樹木までも巻き込んだ第二次大戦という歴史的経験を踏まえた弁として重く受け止 めたい。私は馬場氏の言の中に、桜が不幸にして、アジアを席巻した軍国日本の象徴として、喧伝されたということについて、日本に生まれた歌詠みとしての馬 場氏の人間的良心を感じるのである。

戦後民主主義国家として廃墟の中から甦った日本は、桜を世界中に送った。アメリカやヨーロッパ各国でも、今や日本の桜は単なる「チェリーボロッサム」から 「サクラ」で通るような世界的な花となりつつある。最近、ドイツから「サクラの女王」だか、「サクラ娘」が小泉首相を表敬訪問したというニュースがあっ た。例年ワシントンのポトマック川河畔でも、明治45年(1912)に両国の友好の徴として送られたサクラが、見事な花を結んでいることは有名な話だ。

日本の山に自生していた桜が、今や世界中の都市で愛でられるようになったのである。日本人が愛する桜が世界中の人の目に留まることは、日本人の感性や美意 識が世界中の人々に受け入れられていくことに通じる。軍事的占領は悪であるが、世界中の人々の心を、桜の花の美しさで席巻することは悪いことではない。と かく誤解されがちなわが国の精神を桜の花に託し、もっと世界に向けて発信したいものだ。06.4.3 佐藤

 やがて散る花を我が身と愛しみつ平和日本の成り立 ち思ほゆ
 かにかくに仙台の叔母花の頃退院せしも嬉しかり けり
 「あと幾度花を拝めぬ」と呟きし母を浄土に送り て四年
 花を愛で花の咲く頃逝きたまふ西行法師の絵巻を めくる
 遠くから「サクラ・サクラ」の裏声の聞こへ聞こ へて涙あふるゝ


◎佐藤の桜のエッセイ
桜と日本人
さまざまなこと思い出す桜 かな
桜と滅びと日本人


2006.4.3 佐藤弘弥

義経思いつきエッセイ

義経伝説