日本に再び「黄金の10年」が来る


ー 堺屋太一氏の超楽観論に賛成ー


今年、2007年は、「団塊の世代」といわれ る人々が退職期を迎える年が始まるということで、新たに「2007年問題」ということも言われるようになった。

団塊の世代とは、経済評論家で作家の堺屋太一氏(1935−)が1976年(小説「団塊の世代」)に言い出した造 語である。広辞苑によれば、1947年より 49年の終戦後の混乱期に生まれた世代と明記されている。アメリカでは「ベビー・ブーマー」と呼ばれる。

一般に、「2007年問題」とは、この戦後日本の繁栄を支えてきた団塊の世代が、日本経済からリタイアすることで 起こる混乱の総称である。確かに相当の混乱が予想されるということで、世間は戦々恐々としているが、ひとり「団塊の世代」という言葉を作った堺屋太一地氏 だけは、日本は団塊の世代の退職を期に新たな「黄金の10年を迎える」と言い切る。

どんな理由かと、その言い分に耳を傾ければ、「団塊の世代の退職によって、日本の労働市場は、大量に自由な労働者 を確保することが可能となり、結果的に労働コストが自然に低下し、企業収益に結びつく」というものだ。この論理は明快である。

団塊の世代のリタイアという現実が日本にとって春風となって、「黄金の10 年」を呼び込むとすれば、それは素晴らしいことだ。

このこと春風は、団塊の世代の子供たちの独り立ちを促進するかもしれない。堺屋氏は著書の中で、「親から子への資 金の流れを断て」と過激なことを言っている。まあ、そんなことをしなくても、親が退職したのだから、もはやパラサイト(寄生)して、ニートなどをやってい ることは許されないとも思う。子供たちの世代にとっても、親の世代のリタイヤは、大きな意識転換の始まりとなるというわけだ。また団塊の世代が退職に伴っ て支給される退職金の流れも、日本経済には大きな活力減となるはずだ。結果、あまり周囲が余計なことをしなければ、「黄金の10年」は自然にやってくると 堺屋氏は指摘する。

この周囲が余計なことをしない、ということは以外に大事である。この言葉は、官僚や政治家がこの団塊の世代の退職 に伴って起こる経済の流れに、不自然な成型をするな、ということに尽きる。とかく厚労省などは、経済法則に掉さすような施策をとりがちだが、市場経済に任 せるべきだ。問題は年金が支給額が下がる傾向にあり、団塊の世代の生活も高度成長期のようなわけには行かなくなるということだ。今後は、家計の支出の見直 しも含めて、団塊の世代自身が、家計の財政再建をしなけらばならぬ、とも堺屋氏は力説する。段階の世代には、年金が少なければ、自分で稼ぐぐらいの器量も 体力も見識も経験もある。要は、高齢者の雇用を促進するようなことを、国が法律で決め、これを企業に推し進めるようなことを必要以上にしないことだ。

社会にとって、必要とされる人材に自身が変化することで、総体として日本経済に新たな好循環が生まれ、それが結果 として「黄金の10年」を創造するのである。

団塊の世代論で言えば、確かに日本の40年代後半から社会の一翼を担ったこの団塊の世代が、馬車馬のように働くこ とで、日本経済は今日世界第二位の経済大国の座を勝ち得たのである。戦後の闇市経済を、戦中派の世代が歯を食いしばって成し遂げた「奇跡の復興」と呼ばれ る30年代の高度成長期からバトンを受けて、彼らは今日までほぼ40年間、馬車馬のように働いてきた。これを堺屋氏は、団塊の世代は日本経済のエンジン だったと評価する。

彼らは青春の一時期、全共闘世代とも呼ばれ、とかく反抗的な側面も多分にあった。しかし彼らはいったん企業に就職 するや、昼夜を厭わず、転勤もなんのその、家庭を顧みずに、一目散に働き企業戦士とも呼ばれる世代だった。その結果、確かにひずみも出た。それは家庭教育 が疎かになったことだった。振り返れば団塊の世代の子弟の生活態度は、親と子のケジメもなく、言葉使いもぞんざいとなり、ニート問題なども深刻となった。

2007年という年は、日本社会がもう一度「百年後の未来」を想定し、社会システムばかりでなくあらゆる価値体系 をリセットする年であるかもしれない。そのためにも、日本人は、もう一度、自分の周囲を見直し、堺屋氏の唱える「黄金の10年到来説」の招来を心して迎え るべきではないかと思うのである。佐藤弘弥

参考文献

団 塊の世代「黄金の十年」が始まる
文芸春秋 (ISBN:4-16-367320-2)
発行 2005年10月

2007.1.12 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ