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金田八幡神社に行く

夏の木立に涼を感じつつ本殿へ向かう菅原氏

金売り橘治という謎の人物がいる。宮城県金成町の金田八幡神社は、この金売り橘治の館址と見られている。社家の清水家には、そのことを裏付ける由来を伝える古文書(清水家文書)や義経公の位牌や白鞘(しろさや)に収まった義経公所蔵と書かれた匕首(あいくち)などの宝物がある。義経記でも、16歳の義経公は、この金田八幡神社に来て、短刀と小さな仏像を納めたと記されている。

菅原氏は7月23日、午後三時、梅雨が明けて、夏のまぶしい陽射しの中を、国道4号線を左に折れて、金田八幡社に訪れた。参道に入ると、木立が陽射しを遮ってくれて、実に心地の良い風が渡っている。、鳥居をくぐると、ひぐらしが懐かしい声で、義経公の御霊土の訪問を歓迎してくれているようであった。

社家の清水政雄氏は「義経公が何度か、この地に何度か訪れたという話は、聞いていましたが、まさか810年ぶりにこのような形で戻ってきていただくとは、感無量です」と歓迎の言葉を述べ、義経公の位牌をみせてくれた。それに対し、菅原氏は「実にすがすがしい気持ちに浸ることができました。橘治さんの家に戻ってこれて、義経公も清水さんと同じように感無量のお気持ちだと思います」とお礼の言葉を述べた。

この金田八幡神社は、かつては、坂上田村麻呂や源頼義、義家父子が館として利用したほどの要害の地であり、清水家文書や宝物なども含めた調査研究の成果が期待される。


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最終更新日:99/07/28 18:30 Hsato