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D 6月27日レポート

白河の関を越える

白河神社薄井宮司より榊を渡される菅原氏

6月27日、午後三時半過ぎだというのに、白河の関は、雨雲が重くたれ込めていて、少し薄暗くなりかけていた。雨は依然として降り止まない。関の近くにある神社会館で身繕いをした菅原氏は、若い金沢氏を引き連れて、ほら貝を吹きながら、白河神社の参道を本殿に向かう。

その昔、源義経公は、平家追討に向かう時、この神社に訪れて、戦勝を祈願している。その折、運試しに太い松を見つけ、矢を放ったという。後世の人々は、その松を「矢立の松」と呼び、社の家宝とした。明治には戦勝の守りにしようと木肌が削り取られてしまい、今はその根株しか残っていない。

その石碑の前を、菅原氏の背に背負われた義経公の御霊土は、ゆっくりと上っていく。すると本殿からは、迎えの太鼓の音が聞こえてくる。おそらく薄井宮司が叩いているのだろう。

810年の時間の壁を突き破るように菅原氏のほら貝が太鼓と会話を始めた…。菅原氏は、緊張した面差しで本殿に黙礼。宮司に促されて、義経公の御霊土は本殿に足を踏み入れた。

宮司は「ようこそ白河神社までいらっしゃいました。810年ぶりの来社を心より御歓迎させていただきます。」と言った後、深々と二礼した後、義経公の御霊に祝詞を捧げられた。その後、宮司より御神酒が振る舞われる。まずは義経公に一献。次に菅原氏。

「どうか栗駒の里までお気をつけてお帰りください」と緊張と優しさの入り交じった目で薄井宮司が言われた。

それに対して菅原氏は、「今日は本当にありがとうございました。810年の時の長さを、しみじみと感じております。」と言い、静かに白河の関を後にした。菅原氏は、再びほら貝を吹きながら、参道をゆっくりと下っていく。またそれに応えるように薄井宮司の太鼓が聞こえてくる。

30分程の短い儀式だったが、あの場には、言葉を越えた心の交信が確かにあった…。


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最終更新日:99/07/28 18:30 Hsato