没後八百十年源義経公鎮霊祭のご案内

−平成11年6月6日藤沢市町内に回覧がまわる!!−


 


●文治五年(1189年)四月三十日奥州平泉の衣川の館で藤原秀衡におそわれた源義経は自害しました。義経の首は鎌倉の腰越に運ばれ、六月十三日梶原景時と和田義盛によって首実検の後、腰越の浦に捨てられました。潮に乗って境川、更に白旗川を遡った義経の首は現在の白旗神社付近に流れつき、里人によって拾われ近くの井土で洗い清められ、葬られたと伝えられています。本町公園内に「首洗い井土」と「首塚」の碑があります。

●宮城県栗駒郡栗駒町の栗駒小学校裏山には五輪搭と古碑があり、五輪搭は義経の胴体を葬った墓と伝えられ毎年六月十三日に供養祭が行われています。

●今年は源義経公没後八百十年の記念の年に当り、栗駒町の有志の方々より藤沢の「義経の首」と栗駒町の「義経の胴体」の各々の霊を合体し鎮めたいとの申し出があり、遠方よりご来臨いただく事となりました。

そこで源義経を祭神とする白旗神社では境内に「源義経公の鎮霊碑」を建立し、各々の霊を八百十年ぶりに合わせ鎮めるための祭礼を次のように斉行致しますので、ご参拝くださる様ご案内申し上げます。
 

 日時  平成十一年六月十三日(日)午前十時より

 場所  白旗神社

白旗神社宮司  近藤  正

氏子総代会長  西山 栄一


義経ホームページ
 
 

最終更新日:1999/07/28 18:30 Hsato