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レポート8月28日

義経堂の義経公810年祭法要


義経公と菅原氏の笈
藤里貫主と義経公

金色堂から再び高舘の義経堂に向かって御巡幸を開始した菅原さんに、ある新聞記者がこのように聞いた。

「今どんなことを考えて、平泉を歩いていますか?」

「そうですね。正直、何も考えてはおりません。一歩、一歩、歩く感触を楽しんでいるのです。私はただ歩くだけです。歩いているだけなんです」

何やら禅問答のような答えに、記者の方が戸惑っている様子だった。優しい菅原さんは、それでは記者の仕事に差し支えるかと思ったのか、あの人懐っこい笑顔で、

「平泉は義経公のふる里のようなところですからね。背中にいる義経公もきっと泣いていると思いますよ。この雨のようにですね」と続けた。

高舘の前には、既に毛越寺から3名の坊さんが待機しており、その中に藤里貫主が居られた。感激的な光景だった。まさか貫主自ら来ていただけるとは、夢にも思っていなかったので、菅原さん以下スタッフの連中の緊張は頂点に達した。

短い打ち合わせの後、炭屋一夫氏の司会、藤里貫主のお導きで、高舘での810年祭法要は、厳かに始まった。相変わらず雨は激しくなるばかり。それでも藤里貫主は、ただ一身で読経を続けられた。眼下を見れば、雨に煙った大河北上川が悠然と流れている。雨の音と藤里貫主の声が入り交じり、絶妙なハーモニーを奏で始める。これこそ音楽の原点か。心地よさのためか、目を瞑って聞いている人も何人かいた。藤里貫主の目前には、あの有名な義経公の木像がじっとこちらを見ておられる。そのお姿をまじまじと拝見した。最近京都でお化粧直しをしたらしいが、実に若々しく仕上がっている。

法要の後、焼香となり、次に、祝辞が披露された。宮城県知事の浅野史郎氏、河北新聞、一力一夫氏、元東北大学名誉教授で福島県立博物館長高橋富雄氏、宮城県栗駒町長の三浦弘彰からは、それぞれ温かいメッセージ届けられ、地元平泉町助役橋本良隆氏には、雨の中で熱のこもった祝辞を頂戴した。

最後に菅原さんの御礼の言葉となったが、感激のためか、「自分でも何をしゃべったか覚えていない」というほど上がっていたようだ。しかしここに、菅原さんの最後の言葉を聞きに来た人はいない。誰もがおそらく、元気な菅原さんの笑顔を見に来たはずである。もはや言葉は不要だ。

義経公もきっとこう言うに違いない。

「次男さん、あなたが何を言うかではなく、あなたの真心がうれしいんです。次男さんホントにありがとう」と。

「菅原次男さん本当にご苦労様でした」(でも、これは義経公ではなく、あなたを支援する会一同からです)


 

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