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レポート7月26日

菅原さん中尊寺毛越寺を訪問

夏真っ只中、中尊寺金色堂に秀衡公を訪ねる菅原さん

7月26日、前日、無事500キロの徒歩の旅を終えた菅原さんは、疲れも見せず、真っ黒に日焼けした顔で平泉に向かった。

中世の奥州は、平泉がすべての中心であった。そんな平泉に義経公は、十六才の若さでやってきた。そこで出会った藤原秀衡は、父の面影を知らずに育った義経公にとっては、まさに父そのものであった。したがって「義経公の鎮霊の旅も、平泉の秀衡公にご報告しないことには終わらない」というのが菅原さんの考えのようだ。

菅原氏は、中尊寺に行き、執事の佐々木慎宥師を訪ねた。直ぐさま金色堂に案内していただき、秀衡公の御霊前に、義経公の合祀したばかりの御霊土を置いて、手を合わせた。その日は暑い日で、首筋から流れ出る汗も構わず、43日にわたった御巡幸の旅を、御館(みたち)である秀衡公に報告された。

その時の、気持ちを「どんな思いで手を合わせていたんですか?」と聞けば、菅原さんは、

「いや、ただ…八百十年振りに、義経公をお連れいたしました…とだけね」と涙ぐんでいた。

*  *  *  *  *  *

毛越寺の藤里貫主と菅原さん

菅原さんは、その後、すぐに毛越寺に、藤里慈亮貫主を訪ねた。実は藤里貫主は、以前国鉄に勤められていて、菅原さんにとっては、同じ職場で働いていた時もあったらしい。要するに藤里貫主は、尊敬する大先輩だった。これまた不思議なご縁である。

藤里貫主は、八十才を越えられているとはとても思えない元気さで、「菅原さん本当に素晴らしい功徳を積まれましたね。人間というものは、そうでなければいけません。今の世の中を見てください。愚かな欲や悪い心に突き動かされて、何億の金を無駄にしたり、命を失ったり、いいですか、どぶに捨てるような金の使い方をして、そんな金があれば、この毛越寺の焼けてしまった寺なんて、すべて修復できるんですよ。我々人間は有限です。しかし文化は残ります。我々はそんな文化を後世に伝えていく義務があるのです。菅原さん、これからも焦らず、常に良い心を持って、益々お励みください」と菅原さんの手を握られた。実に含蓄のあるいいお話をいただいた。

菅原さんは、ただただ感激し「ありがとうございます。藤里貫主にそう言っていただけるだけで、うれしいです」と照れながら、頭を深々と下げた。


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最終更新日:99/08/06 19:30 Hsato