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I レポート7月24日

義経公、八百十年振りに栗原寺に入る


古刹栗原寺にて温かく迎えられる菅原さん一行

7月24日早朝、夏の日差しが容赦なく照りつける中を、菅原さん一行6名は、富野小学校前で、藤沢から駆けつけてくれた迎霊特使5名と合流し、一路栗駒町尾松にある栗原寺を目指した。栗原寺は、かつては平泉の毛越寺にも匹敵する壮大な伽藍があり、浄土式庭園もあったとされる古刹である。一時はまぼろしの寺とされ、上品寺と称していたが、最近の発掘調査によって、その実体が次第に明らかにされつつある。

義経記にも、義経公が平泉の藤原秀衡公に対面するため、一旦この栗原寺に入り、身繕いを整えて、平泉に向かったと書かれている。また東下りをして、再び平泉に戻って来た時のやはり、この寺に立ち寄ったといわれる。

この日は、義経公を迎えるのに僧兵が近くまで迎えに出たという故事に則り、近くの区民センターで地元栗原の力士が、屈強な僧兵に扮し、檀家の人々とともに、義経公の御霊土を丁重にお迎えした。そこで菅原さんは馬上の人となり、その後を三十名程の行列が従う形となった。義経公810年振りの栗原寺凱旋であった。

沿道には、多くの人が手を振り、声を掛け、馬上の菅原さんは「ありがとうございます。無事に帰ってこれました」と笑顔で応えた。

栗原寺では、檀家の皆さんなどが、百名ほどで、菅原さん一行を温かい拍手で迎えた。すぐ地元の人々により「鹿踊り」が披露され、午前11時より、「義経公810年鎮霊法要」は始まった。式には栗駒町町長や教育町なども出席し、義経公の遺徳を偲ぶとともに、菅原さんの500キロ43日間に及ぶ労をねぎらった。


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最終更新日:99/07/28 18:30 Hsato