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@ 6月3日

神奈川新聞6月3日号で、今回の義経公鎮霊祭が、大きく報道されました

その記事を掻い摘んで、紹介させていただきます。

自害した義経公の首は、鎌倉の腰越まで運ばれ、和田義盛と讒言の宿敵梶原景時によって首実検された。その後義経の首は、腰越の海岸に捨てられた後に境川をさかのぼって、藤沢に流れつく。地元の民が、その首を見つけて、首を洗ったとされる井戸が、藤沢の白旗神社にある「首洗い井戸」。かつて同神社には、義経公の「首塚」もあった。

「新編相模国風土記稿」(江戸幕府によって編纂された地誌)にも、(義経公の)首は首実検後に白旗神社に埋めたと書かれてある。その遺徳を偲び、同神社では毎年、7月に義経公のための例大祭を行っている。

一方の胴体は、宮城県栗駒町沼倉に葬られたと言われる。今回の合同鎮霊祭は、栗駒町の有志が「没後810年の節目でもあり、首と胴体を合体して鎮めたい」との申し出により実現した。しかも6月13日は旧暦4月30日で義経公の命日に当たる。

白旗神社宮司の近藤正氏の声

「これを機会に、栗駒町と交流を深めたい。来年以降も命日に供養をしたい」

菅原次男氏の声

「今後もそれぞれの地で、同じような行事を同じ時刻でやりたい」

菅原氏については、この鎮霊祭後、義経公ゆかりの史跡を回りながら、栗駒まで500キロの徒歩旅行をする予定。

6月13日の鎮霊祭は午前10時から。問い合わせは白旗神社0466-22-9210まで


 

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