ユネスコの世界遺産登録と平泉 

−平泉の文化的価値と登録への道−


少し世界遺産登録について、私なりに考えてみたい。


最終的にユネスコの世界遺産登録を決定するのは、世界遺産委員会であるが、その登録する場合の基準はこのように明示されている。

文化遺産の場合
1.人間の創造的才能を表す傑作であること
2.ある期間、あるいは世界のある文化圏において、建築物、技術、記念碑、都市計画、景観設計の発 展に大きな影響を与えた人間的価値の交流を示していること
3.現存する、あるいはすでに消滅してしまった文化的伝統や文明に関する独特な、あるいは稀な証拠を示していること
4.人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは建築的または技術的な集合体、あるいは景観に関するすぐれた見本であること
5.ある文化(または複数の文化)を特徴づけるような人類の伝統的集落や土地利用の一例であること。特に抗しきれない歴史 の流れによってその存続が危うくなっている場合
6.顕著で普遍的な価値をもつ出来事、生きた伝統、思想、信 仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連 があること

1の人間というのは、原文では天才という風になっている。天才とは、ダビンチやミケランジェロのような天才の創造したものという意味である。
2については奥州藤原氏が、京の都から遠く隔たった平泉という場所に、何故此ほどの都市を建築できたのか、その背景と都市のグランドデザインを示しうるものでなければならない。要するに奥州藤原氏の文化風土を良く伝えた遺産をアピールしなければならないことになる。

さて平泉の場合は、状況を厳しく見つめるならば、まず建築物で言えば、残念ながらその当時を伝えるような伽藍は奈良や京都と比較した場合極めて少ない。間違いなく世界遺産になりうる建築物と言えば、奥州藤原氏の繁栄を伝える文字通りの金字塔としての金色堂と鞘堂を於いてはかなり弱いかもしれない。何故ならそのほとんどの建物は、近世か明治以降になって建てられたものである。特に毛越寺の場合は、ことごとく焼失しており、大泉ケ池を含めた景観がその決め手になるしかない。仏像などの宝物は、中尊寺の讃衡蔵を中心に保存されており、世界遺産登録の場合の重要なアピールポイントとなるであろう。

3は重要である。何故なら基本的に平泉という場所は、奥州藤原氏が滅んだ廃墟のような雰囲気を漂わせた町だからである。これを以て「文化的景観」あるいは「歴史的景観」と読んでいいかもしれない。そこで無量光院や柳の御所、伽羅御所の遺構の保存の仕方には、人一倍の気を配らなければならないことになる。現在無量光院は、JRの線路によって、分断されているが、これを何とか、移して、本来の遺構を回復させるべきであると思う。また柳の御所は、ただその横に、資料館が出来て発掘された遺物を展示しているがどうも景観に合わない感じがするのは私だけだろうか。また柳の御所の遺構をただ土塊の原っぱにしておかないで、ローマの遺跡のような見せ方はできないものだろうか。つまり単に遺跡の場所に新しい建物を構築するというのではなく、廃墟を廃墟として見せるものひとつの文化なのである。
 


大雑把に見てしまえば平泉文化は、京風の移築と言われても仕方の無い側面がある。そこで大事なのは、奥州的なる文化の痕跡である。そのように考える時、柳の御所の周囲に堀が廻らされているとか、やはり安倍の時代から、いや伊治呰麻呂の時代から戦に備える館としての町の側面である。さて柳の御所や高館、伽羅御所のロケーションもやはり巧みに河川と崖を背景として築かれた城郭都市と言えないこともない。もちろん現在は、北上川の流れの変化によって、なかなか都市の全貌を復元することは難しいが、平泉の原型は、栗駒山(須川岳)の上流の骨寺にあるとする考え方もある。

そこに平泉の京都とは違う都市としての個性があるように思われる。つまり自己を「俘囚の上頭」と規定した初代清盛の精神性が現れていると考えるべきだし、朽ち果てた己をミイラ(死した者をミイラを蝦夷の習俗と見る見方もある)とすることで、京都の文化とは異質な文化に連なっているという、奥州藤原氏のアイデンティティの問題である。

あの画家の岡本太郎が、著作の中で、「金色堂に入った瞬間、異様な気分になった、同時に非常に縄文的な骨太なものを感じた」というようなことを語ったことがある。まさに平泉文化が、京風な文化を脱して、己自身を世界にアピールできうる文化的財産は、この縄文文化に連なる文化的風土なのである。平泉文化の根底には、明らかに縄文的なるものに連なる何かがある。

この平泉文化の中にある縄文的なるものをそれこそ意識的に世界遺産委員にアピールすべきであろう。だとすれば、藤原4代(泰衡も含め)のミイラも重要なアピールポイントであり、柳の御所や高館、泉が城等の周囲の堀や崖を利用した当時の配置を研究し、出来うる限り当時の自景観を復元することもまた重要である。
 


我々もまた平泉という地域を大切に思い、是非にも世界遺産登録して貰いたいと思っているが、それは自治体の都合に合わせてであったり、何かしらの商売をやろうとして、そう言っているのではない。この平泉という場所が、世界的にみても、人類の歴史の中で、誇りうる文化的都市としての体裁を保持していると思うからそうしているに過ぎないのである。

ところが各自治体の首長や、地元はの大方の意見は、「村おこし」、「町おこし」のレベルで発想しているのである。そこで考えて貰いたいのは、世界遺産に登録されたら、今までのように勝ってな開発行為はできなくなりますよ。そのリスクを理解した上での賛成ですか?と敢えていいたいのである。世界遺産に登録されたら、人類共通の遺産となるのだから、地元のわがままは通らない。開発なんてとんでもないとなる可能性だってある。

つまり世界遺産登録されれば、そう易々とこれまでのように簡単に道路ひとつ作ることができないことを知るべきである。ところが大方の人々は、地元の文化遺産が、「世界遺産に登録されれば、観光客が大挙して押し寄せるだろう。だから世界遺産に何が何でも登録して貰う」という態度が見え見えである。世界遺産とは、本来そういう性格のものではない。

今回の「第一回世界遺産講演会」で青山先生が強調されたこともそのことである。耳障りの良い言葉に酔って、世界遺産登録されれば、棚ぼた式に、お金が入ったり、観光客が来てくれると思ったらとんでもない勘違いである。


周知のように、世界遺産には、奈良や京都の寺社のような「文化遺産」と屋久島や白神山地のような「自然遺産」、また特に文化遺産と自然遺産の要素をかねそなえているペルーのマチュピチュやオーストラリアのタスマニアのような「複合遺産」の三つがある。

冒頭の1において、説明した世界遺産登録の基準は、文化遺産についての登録基準であるが、「自然遺産」についての登録基準は、以下の4点である。

1.生命進化の記録、地形形成における重要な進行しつつある 地質学的過程、あるいは重要な地形学的、あるいは自然地理学 的特徴を含む、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な例 であること 。
2.陸上・淡水域・沿岸・海洋生態系、動・植物群集の進化や発展において、重要な進行しつつある生 態学的・生物学的課程を代表する顕著な例であること。
3.ひときわすぐれた自然美および美的要素をもった自然現象、あるいは地域を含むこと。
4.学術上、あるいは保全上の観点から見て、顕著で普遍的な価値をもつ、絶滅のおそれのある種を含 む、野生状態における生物の多様性の保全にとって、最も重要な自然の生息・生育地を含むこと 。

2000年1月現在で、世界遺産登録されている件数は680に及ぶが、内訳は文化遺産480件、自然遺産128件、複合遺産22件と、圧倒的に文化遺産の占める割合が多い。しかも登録基準は、厳正であり、何故それが世界遺産として登録されたかまで明示されている。ちなみに現在の日本の世界遺産の登録件数は10件を数えるがその登録理由は、以下のようになっている。かっこ内が登録理由である。

法隆寺地域の仏教建造物,1993年登録,文化遺産、登録(1)(2)(4)(6)
姫路城,1993年登録,文化遺産(1)(4)
屋久島,1993年登録,自然遺産(?)(?)
白神山地,1993年登録,自然遺産(?)
古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市),1994年登録,文化遺産(2)(4)
白川郷・五箇山の合掌造り集落,1995年登録,文化遺産(4)(5)
原爆ドーム,1996年登録,文化遺産(6)
厳島神社,1996年登録,文化遺産(1)(2)(4)(6)
古都奈良の文化財,1998年登録,文化遺産(2)(3)(4)(6)
日光の社寺,1999年登録,文化遺産(1)(4)(6)

さてこのように考えると、ただ曖昧な形で、「おらが平泉を世界遺産に」などと日本の政治家などに陳情する具合に運動したところで、世界遺産に登録されることはないと断言できる。続く
 
 

 


2001.6.29

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