−平泉の文化的価値と登録への道−
少し世界遺産登録について、私なりに考えてみたい。 1
文化遺産の場合
1の人間というのは、原文では天才という風になっている。天才とは、ダビンチやミケランジェロのような天才の創造したものという意味である。
さて平泉の場合は、状況を厳しく見つめるならば、まず建築物で言えば、残念ながらその当時を伝えるような伽藍は奈良や京都と比較した場合極めて少ない。間違いなく世界遺産になりうる建築物と言えば、奥州藤原氏の繁栄を伝える文字通りの金字塔としての金色堂と鞘堂を於いてはかなり弱いかもしれない。何故ならそのほとんどの建物は、近世か明治以降になって建てられたものである。特に毛越寺の場合は、ことごとく焼失しており、大泉ケ池を含めた景観がその決め手になるしかない。仏像などの宝物は、中尊寺の讃衡蔵を中心に保存されており、世界遺産登録の場合の重要なアピールポイントとなるであろう。 3は重要である。何故なら基本的に平泉という場所は、奥州藤原氏が滅んだ廃墟のような雰囲気を漂わせた町だからである。これを以て「文化的景観」あるいは「歴史的景観」と読んでいいかもしれない。そこで無量光院や柳の御所、伽羅御所の遺構の保存の仕方には、人一倍の気を配らなければならないことになる。現在無量光院は、JRの線路によって、分断されているが、これを何とか、移して、本来の遺構を回復させるべきであると思う。また柳の御所は、ただその横に、資料館が出来て発掘された遺物を展示しているがどうも景観に合わない感じがするのは私だけだろうか。また柳の御所の遺構をただ土塊の原っぱにしておかないで、ローマの遺跡のような見せ方はできないものだろうか。つまり単に遺跡の場所に新しい建物を構築するというのではなく、廃墟を廃墟として見せるものひとつの文化なのである。
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そこに平泉の京都とは違う都市としての個性があるように思われる。つまり自己を「俘囚の上頭」と規定した初代清盛の精神性が現れていると考えるべきだし、朽ち果てた己をミイラ(死した者をミイラを蝦夷の習俗と見る見方もある)とすることで、京都の文化とは異質な文化に連なっているという、奥州藤原氏のアイデンティティの問題である。 あの画家の岡本太郎が、著作の中で、「金色堂に入った瞬間、異様な気分になった、同時に非常に縄文的な骨太なものを感じた」というようなことを語ったことがある。まさに平泉文化が、京風な文化を脱して、己自身を世界にアピールできうる文化的財産は、この縄文文化に連なる文化的風土なのである。平泉文化の根底には、明らかに縄文的なるものに連なる何かがある。 この平泉文化の中にある縄文的なるものをそれこそ意識的に世界遺産委員にアピールすべきであろう。だとすれば、藤原4代(泰衡も含め)のミイラも重要なアピールポイントであり、柳の御所や高館、泉が城等の周囲の堀や崖を利用した当時の配置を研究し、出来うる限り当時の自景観を復元することもまた重要である。
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ところが各自治体の首長や、地元はの大方の意見は、「村おこし」、「町おこし」のレベルで発想しているのである。そこで考えて貰いたいのは、世界遺産に登録されたら、今までのように勝ってな開発行為はできなくなりますよ。そのリスクを理解した上での賛成ですか?と敢えていいたいのである。世界遺産に登録されたら、人類共通の遺産となるのだから、地元のわがままは通らない。開発なんてとんでもないとなる可能性だってある。 つまり世界遺産登録されれば、そう易々とこれまでのように簡単に道路ひとつ作ることができないことを知るべきである。ところが大方の人々は、地元の文化遺産が、「世界遺産に登録されれば、観光客が大挙して押し寄せるだろう。だから世界遺産に何が何でも登録して貰う」という態度が見え見えである。世界遺産とは、本来そういう性格のものではない。 今回の「第一回世界遺産講演会」で青山先生が強調されたこともそのことである。耳障りの良い言葉に酔って、世界遺産登録されれば、棚ぼた式に、お金が入ったり、観光客が来てくれると思ったらとんでもない勘違いである。 4
冒頭の1において、説明した世界遺産登録の基準は、文化遺産についての登録基準であるが、「自然遺産」についての登録基準は、以下の4点である。 1.生命進化の記録、地形形成における重要な進行しつつある 地質学的過程、あるいは重要な地形学的、あるいは自然地理学
的特徴を含む、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な例 であること 。
2000年1月現在で、世界遺産登録されている件数は680に及ぶが、内訳は文化遺産480件、自然遺産128件、複合遺産22件と、圧倒的に文化遺産の占める割合が多い。しかも登録基準は、厳正であり、何故それが世界遺産として登録されたかまで明示されている。ちなみに現在の日本の世界遺産の登録件数は10件を数えるがその登録理由は、以下のようになっている。かっこ内が登録理由である。 法隆寺地域の仏教建造物,1993年登録,文化遺産、登録(1)(2)(4)(6)
さてこのように考えると、ただ曖昧な形で、「おらが平泉を世界遺産に」などと日本の政治家などに陳情する具合に運動したところで、世界遺産に登録されることはないと断言できる。続く
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2001.6.29