良寛さんとマイルス・デービス

良寛さんの書「一 二 三」について

 
ジャズの帝王マイルス・デービスの1968年のレコードに「イン・ナ・サイレント・ウェイ」という名盤がある。しかし世ではこのアルバムを名盤と評価する人は少ない。問題作だ。閑かな感じで、同じようなリズムとメロディーが延々と続く。天才トニー・ウィリアムズの決めの細かいドラムが印象的だ。正直、初めてマイルスを聞く人には、余り勧めたくないレコードだ。

何故か。昨日文化村で見た「良寛さん」の中の一作を見ながら、ふとこのマイルスの「イン・ナ・サイレント・ウェイ」のメロディが浮かんで来て、耳から離れなかった。その作品は、縦に「一 二 三」と書かれてある。ただそれだけ。その横には「い ろ は」という作もあった。ふたつともかなり大きな作品で隙間が多い。それなのにそのインパクトは信じられないほどに強い。

これは理性では計れない、まさに感覚的な作品だった。もしもこれを理性や知性で捉えようとすれば、まったく意味のないものになってしまうに違いない。マイルスの「イン・ナ・サイレント・ウェイ」も、同じく感性で聴く音楽だ。音楽とは本来、音の世界なのだが、何故か、この作品を聴くと、静謐で広大無辺な世界が脳裏に拡がっていくような感じがする。

けっして音が少なくはないのだが、とても空間を感じるのである。それは仏教哲学的に言えば、空観という観念かもしれない・・・。

「良寛さん」の「一 二 三」の書は、やや左から右に寄れて曲がっていて、虚ろに見える。しかし何とも言えない内面の熱のようなものを感じる。心の中にある生命の炎が沸々と沸き立つかのようだ。字数少なく、紙という限定された小空間にシンプルに表現された「一 二 三」には、得体も知れないような熱があった。そのことが起因して、マイルスの「イン・ナ・サイレント・ウェイ」が私の中で共時的に浮かんだのだろうか。佐藤


 良寛さんの「一 二 三 」に触れて二首
マイルスの「イン・ナ・サイレント・ウェイ」のごと良寛は書に「一二三」(ひふみ)と書きぬ
良寛は「空」の世界を「一 二 三」なる書に託せしか静謐の空 
 


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2001.2.1