天才ロナウドとサッカーの神さま 


 


2002年サッカーワールドカップが終わった。開催から一ヶ月。嵐の過ぎ去った後のような感じだ。祭りの後のように寂しいという人もいるが、日本チームについてみるとけっして手放しでは喜べない何かもやもやしたものが残った。

この一ヶ月サッカーは、確かに世界中の人々の目を日本と韓国に向けさせたことは事実だ。偶然かも知れないが、戦争や紛争のようなものは起きなかった。もちろんパレスチナは、依然として世界の火薬庫のような状況に変化はないが、とにかくワールドカップの期間は、最後に、韓国と北朝鮮が領海で、小競り合いを見せたことはあったが、戦になることはなかった。

このように考えるとサッカーというのは、言葉は悪いが、人の戦闘意欲を刺激するというか、もっと過激な言い方が許されるならば、戦争の代用のようなスポーツと言えるかもしれない。

サッカーに熱くなり、負けた国では、暴動にまで発展し、普段は大人しかったはずの女性が、我を忘れ奇声を発して応援する姿は、ただ人間という存在の不思議な一面を見せられる思いがした。

今回のワールドカップには、様々な問題があった。まずはチケット問題、それから欧州のチームの過密スケジュールから、必ずしもすべてのチームが完調で試合に臨んだ訳ではなかったと言われている。それからやはり大きかったのは、審判の誤審問題である。口の悪い人は、韓国は二度負けていた。と指摘する評論家もいる位だ。もちろんイタリア戦とスペイン戦のことを指しているのだが、公平に見て実に後味の悪い思いばかりが残った。

このように考えると、FIFAが言う世界最高峰のサッカーの祭典というには、いささか心許ない大会であったと言わざるを得ないであろう。それにしても次々と前評判の高かったチームが敗北し、帰国していったが、その時、決まって言った言葉が、「サッカーに絶対はない。」とか「これがサッカーというものだ」という言葉であった。きっとサッカーの神さまは気まぐれな人なのであろう。

それでも今大会で素晴らしいドラマが存在したことも事実だ。選ばれた天才達が、本気で挑み、はねのけられ、自国へ静に帰って行った。大会前、ジタンの為の大会と言われ、世界最高のサッカー選手と評判のフランスのジタンは、結局大会前の練習試合で、故障して、一、二戦を欠場。無理して出場した三戦でも、結局実力を発揮できないまま、「穴があったら入りたい気分。今回は裏口からそっと帰ってゆく」という言葉を遺して自国に戻った。イタリアのトッテイしかり、ポルトガルのフィーゴしかり、スペインのゴンザレスしかり、アルゼンチンのバティスチュータしかりであった。

皆サッカーの神に突き放されて、無念の思いを持って自国に戻ったのである。これらの選手は、これから四年間、再び自国の代表として居られるかどうかは分からない。サッカーという激しいスポーツでは、選手としてのピークは、どんどん下がっている。だからこそ、彼らは、このワールドカップに特別な思いを持って、臨んでくるのであろう。

今回ヒーローとなったのは、ブラジルのストライカー、ロナウドであった。彼は今年二五才であるが、前回のフランス大会は、前評判では「ロナウドの為の大会」とまで言われるほど期待の大きかった大会であったが、調子は今ひとつで、決勝のフランス戦に臨んだが、途中で体調を崩して交代させられる始末であった。結局ブラジルは準優勝に終わり、期待が裏切られたサッカー大国ブラジルの人々は、戦犯探しをし、やはり批判はロナウドに集中した。悪いことは続くもので、その後イタリアのセリエAでの試合で、大けがをし、手術を余儀なくされた。その時は、「スーパースターロナウドもこれまでか、再起は危うい。」との報道が全世界を駈け巡った。でも彼は必死で堪えた。それから二年、彼は自らの人生をけっして見捨てることなく、一身で再起に賭けたのであった。

健気な努力を、どこかで神は見ていたのであろうか。今年奇蹟の復活を遂げたロナウドは、今大会での前評判を覆して、得点王となり、世界一のストライカー、天才ロナウドの名を再び世に知らさしめたのである。優勝が決まった後、彼は大泣きに泣いた。そして屈託なくこのように言った。
「神に感謝したい。私は既にサッカーによってあらゆるものを手に入れている。ただ残ったのはワールドカップでの優勝だけだった。だから本当に嬉しい」と。努力は報われる。ロナウドの笑顔を見ながら、つくづくとそう思った。佐藤
 

 


2002.7.2
 

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