「リンゴの唄」と終戦の日


今日、2002年8月15日は、57回目の終戦の日である。でも何かどんどんと終戦という言葉が、形骸化して、響きだけが、どこか郷愁を誘うような感じで、聞こえてくるような気がする。まるで終戦の年に流行した「リンゴの唄」のようだ。この歌の作詞は、詩人のサトーハチロー、作曲は万城目正、歌は美空ひばりではなく、並木路子であった・・・。でもそんなことを考えている人はいない。リンゴの歌は、戦後のどさくさの混乱した日本を沸々と思い出させる代表歌だ。

「赤いリンゴにくちびる寄せて、黙って見ていた青い月、リンゴはなんにも いわないけれどリンゴの気持は よくわかるリンゴ可愛いや可愛いやリンゴ・・・」。誰でも知っているこの歌だが、この歌が、松竹映画「そよかぜ」(一九四五年十月封切り)の主題歌だったことを知っている人は少ない。ただこの歌の愛らしいメロディと歌詞が、頭の中に湧いてきて、終戦のどさくさの光景が、それを経験していない者にまで、懐かしい気持を掻き立ててしまうのである。この歌が、戦争で傷ついた人の心を癒したことは確かだが、私はここにある種の心理的な危険を感じてしまうのである。

この歌と戦後の混乱の歴史の一コマのように個人の経験や国家の歴史もまた、時間が経過するたびに、風化していき、ただ哀愁や郷愁のような美しく甘ずっぱいものに変質してしまう危険な傾向が至る所にある。あの悲惨極まりない太平洋戦争だってそうなのである。個人の失恋や友人の裏切りでも、人はその思い出を振る返えり、又ふり返りしているうちに、どっかで過去そのものを美化をする傾向がある。それは一種の自己の正当化であり、個人や国家に限らず歴史の歪曲化の過程に他ならない。考えてみれば、終戦記念日という表現そのものであるが、冷静にみれば、「敗戦の日」の自己正当化のような気がしないでもない。

我々の親やその親たちが、様々な歴史的過程を経て、結局不幸な戦争を止められずに、自ら被ったあの第二次大戦の総括を、先のリンゴの唄のメロディに乗せて、幻想の彼方に飛んでいかせてはいけない。我々現代を生きる日本人は、もう一度、あの暗い時代の歴史的現実を、己の中で正視をし、そしてもう一度、日本人のひとりひとりが、あの戦争の不幸な歴史をけっして風化させることなく、親は子へ、子は孫へと語り継ぐ気の遠くなるような努力をすることで、辛うじて「終戦の日」が今後とも意味あるものとして存在しえるのではあるまいか。佐藤

 


2002.8.15
 

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