岩手県盛岡市在住のSさんが、東日本大震災において、壊滅的な打撃を受けた陸前高田市の写真を送ってきた。4月18日に撮影された光景だ。

この写真には、さる3月11日、午後2時46分に発生したマグニチュード9の地震の後、突如として襲ってきた大津波の痕跡がくっきりと写っている。

様々な報道によれば、陸前高田を襲った津波の高さは、20mを越えると思われている。写真には、内陸の小高い丘に立つ寺の直下まで津波が押し寄せてきたことを明示している。

結局、大津波も、天国に通じる階段のように見える参道を駆け上がることはできなかったようだ。今回の大震災で、ちょっとしたタイミングのいたずらで、助かった人、亡くなった人がいる。生死の境は、それほどきわどいものだった。

参道の前には、膨らんで一両日には咲くであろう桜の木々たちは、微かにのぞく御堂を取り囲んでいる。その姿は、まるで金色堂内陣の阿弥陀如来を守護する観音菩薩や力士像にも見える。

この寺は、陸前高田市気仙町字裏にある金剛寺(佐藤信雄住職、東北三十六不動尊霊場 第二十四番札所)である。この寺の本尊として如意輪観音菩薩と不動明王が奉られている。

観音経によれば、人が、災難に遭った時、「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」と声を発すると、、観音様は素早くその声を聞き届けて、人はその難か ら逃れることができる、と説かれている。これは「観音信仰」と呼ばれる。東北地方では、とりわけ観音菩薩が多くの寺で信仰の対象となっている。このこと は、東北の地を、地震や津波、飢餓などの災禍が幾度も幾度も襲い、その度に人々が観音さまにすがって、その名を呼んだのではだいだろうか。


さて今回の未曾有の大震災を生き延びた若者たちは、30年後、50年後の桜の頃、この御堂の前に立って、どんな思いを持つであろうか・・・。

芭蕉に、”さまざまなこと思い出す桜かな”という名句がある。

こんなイメージか。かつての若者たちが、満開に咲く桜の下で、亡くなった人のことを思い、眼下に広がるがれきだらけだった故郷の光景が、年月を経て、想像を越える美しい港湾都市に生まれ変わった姿を、感慨深くいつまでも眺めている・・・。

 大津波、一ヶ月後に咲く花に元気をもらう日本人われ ひろや

2011..4.20 佐藤弘弥

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