南宋の大詩人

陸游の漢詩と日本「偽」の世相

-官僚の心構えについて-

最近恒例になった京都清水寺住職による日本の世相を漢字一文字で表すというパフォーマンスがある。今年は「偽」だ、そうである。確か に、今年は、官民問わず、偽装事件と言われるような事件が多発した。

よくよく考えてみると、「偽」の字は、「人」の「為」と書いて、「偽」(にせ、ギ)と読ませる。少し矛盾というのか、皮肉なようにも思えた。

ところで、本屋で偶然手にした、岩波文庫(一海知義編「陸游詩選」岩波文庫07年12月刊)の新刊書をめくると84頁に「読書」という以下のような漢詩 (七言絶句)があった。

 「帰老寧無五畝園
 田舎に帰れば、わずか五百坪ではあるが畑がある
 (だから官吏を退職しても喰うに困ることはない。)

 「読書本意元元
 読書本来の意味とは、国民に尽くすことにある

 「燈前目力雖非音
 視力は昔より衰えていると言えども

 「猶課蝿頭二萬言
 それでも私は蝿の頭ほどの小さな文字を二万語ほど読むことを自分に課している

これは、南宋の大詩人「陸游」(1125−1209)の詩である。作者は当時五三歳で、官僚であった。そろそろ目も衰え、職を辞して、 田舎へ戻り、 質素な生活をする直前の心境であろうか。しかしそれでも、この詩人官僚は、小さな文字を読み、人々のために向学心を絶やさないのである。

この詩を読みながら、先頃逮捕された防衛省守屋某という人物との落差を情けなく思った。彼もまた東北の片田舎で育った人間である。おそ らく、大学を 出て官僚になったばかりの時には、それこそ「人」の「為」に一生懸命尽くして何かを「為」したいと思っていたと思う。それがいつの間にか、権力という魔物 に取り付かれ、金の欲に負け、賄賂かどうかの判断もつかなくなり、ついには国会喚問で、嘘の証言を繰り返し、夫婦で逮捕という最悪の状況に陥って「偽の 人」に落ちぶれ果てたのである。

この中国の陸遊と守屋某を分かつものは何であるか。それは陸游という人物が、常に人々の幸せを思い、そのために自分の人生はあると思っ て努力を怠らないという一点にあったのではないだろうか。

古今東西において、官僚の人々が陥る第一のつまずきは、いつの間にか、公私の切り分けが分からなくなることに始まる。その結果、公的権 限を自分の 「威徳」と勘違いをし、公的な資金(実は国民の血税)を自由にできることを良いことに、これを私してしまうことに、マヒしてしまうこと何らの罪の意識を感 じなくなってしまうことになる。私たちは今年、国民が老後の蓄えにと、せっせと国庫に納めてきた年金がどこかに消えて行ったのを目の当たりにした。

早急にこの年金問題は、解決の糸口を見つけてもらわねば困る。こんなことを考えながら、二〇〇七年の「偽」に集約される世相を考える 時、ますます官 の立場の人間の心構えが重要になると思う。それには、やはり、自分を虚しく考えて、常に国民を第一に思い、国民の為に尽くす、という心構えを忘れてはなら ない。そんなことを、陸遊の詩は、教えているのではないかと思うのである。

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2007.12.20 佐藤弘弥

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