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アフガン少年の夢に学ぶ  

−瓦礫のアフガンの明るさ−


人間は不思議だ。常に目の前にあると思うと飽きてほっぽり投げてしまう。もうないと思うと無償に、それが欲しく、手当たり次第に探しまくるのだ。何でも手に入れたら最後、ポイと捨てて、又次の「あるもの」を獲物のように探すのである。これは人間というものの一種の習性かもしれない。

今、日本人が求める「あるもの」とは、かつての「マイホーム」や「マイカー」「クーラー」「カラーテレビ」などではもちろんない。要するに一通りの「富み」を手にして、「富み」というものに集約される一群の「あるもの」から、興味がよそに移ってしまったのである。

今、アフガンの人々が、求める「あるもの」とは、教育環境だそうだ。誰に聞いても、復興をするためには、人間の教育が一番と言っている。日本もかつてはそうだった。第二次大戦後瓦礫の山となった中から、とにかく戦後の子供たちの教育は始まったのである。食えない時代に何が教育か、と思うかもしれないが、心ある人々は、教育の大切さを知っていたのである。廃墟の町に学校が建ち、煤けた顔をしながらも、子供たちが明るく、スキップなどしながら、登校する光景は、この国は、きっと復興するぞ、と進駐軍のアメリカ人も思ったかもしれない。

子供の教育こそ、明日の国造りの最も大切な政策でなければならない。しかし日本では教育現場の荒廃が叫ばれて久しい。先生の立場も大きく変わった。尊敬される存在から、何時の間にか「センコウ」と呼ばれる哀れな立場となった。今では、その先生に暴力を振るう生徒までいるというから、始末が悪い。終戦後のハングリーはどこえやら。すっかりと豊かになり、「マイホーム」や「マイカー」「クーラー」「カラーテレビ」などの富みをたらふく喰った日本人は、教育の有り難さを忘れて、はたと気づいた時には、荒廃したのは、学校ではなく、国家そのものだった事を知り茫然と宙を見つめて、バブル後の「空白の年」が過ぎたのである。

効率ばかりを追う日本人は、文部省の束ねる公立学校に意味を小馬鹿にして、塾に子供を通わせて、さもそれが当たり前のことと思っている。塾から塾に渡り鳥となった少年少女は、名の知れた一流大学とやらを目指して、深夜まで塾の森を飛び回り続けている。これを異常とも思わぬ感性が今の日本人にはある。子供らしさは失われ、携帯電話をポケットに指したこまっしゃくれたガキが、母親のことは「ババーー」と父親のことは「オヤジ」と呼び捨てにして平気のへの字。誰もそれを咎める者とていない。そんな日本の子供に学校のことを聞けば、「内容が遅れているし、塾の方が面白い」とインタビュー馴れした政治評論家のように語る。

一方、アフガニスタンの子供らは、夢を聞かれて、はにかみながら「学校へ行きたいな…」と答える。聞けばその子は、家業の煉瓦造りを支える為、朝から晩まで、紅葉のような小さな手を真っ黒にして働いている。日が昇ると、一家総出の日が暮れるまでに1500枚の煉瓦が出来上がる。それで得られる収入が日本円で、300円。しかしその値段以上に尊いのは、瓦礫の山となった国家を再建する事業の一翼を担っていること、そして子供ながらに飽きもせず、煉瓦造りという単純な作業に没頭できる根性である。最近とみに日本人は根性という言葉にも飽きたみたいだが、この少年の根性には、日本人の携帯少年たちが、束になった所で勝てるとも思えない。

その少年が、何か日本の子供にメッセージはと、聞かれて、「日本の子も、煉瓦造りがなくなって、学校いけるといいね」と言った。彼は日本人の子供も、懸命に煉瓦造りをしていると思っている。この落差は、いったいどうしたことだろう。国家としての日本の未来は、アフガンの明るさと好対照に明るいとは決して言えない…。佐藤
 

 


2002.1.23
 

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