ゲル二カはどうした?
 
ピカソ展に思う

 

ゲル二カ 1937年 マドリッド プラド美術館
 


ゲルニカはどうした?!

ピカソ展(上野の森美術館)に行った。そして帰ってきた…。何か物足りない…。20年程前に観たピカソ展に比べると何故か見劣りがする。作品の数もすくない。さてはもうピカソという芸術家の感覚が古くなりつつあるのかな…?正直そう思って、しばらく考えてみた・・・。

今回のピカソ展は、まるで日本そばでも食べるように、すっと喉を通って、胃の中に収まった感じがした。前に行った時は、固い肉を腹一杯喰った気がして、胃がもたれた。なかなか消化せず、さすがはピカソ!完全な肉食的な芸術だな?と思ったものだ。今回は、何故かさっぱり疲れない。

…今回のピカソ展で、私が少し物足りなさを感じた最大の原因は、ピカソの怒りや苦悩を描いた作品が少なかったせいかもしれない。
ピカソは、20世紀に起きた二つの世界大戦を目の当たりにした芸術家である。その戦争についてピカソは、怒りを込めて、戦争の悲惨と平和の尊さを描いた作品「ゲルニカ」という大作を完成させている。

その作品は、祖国スペインが、フランコ政権というファシスト集団によって自由を奪われたことに対する芸術家ピカソの抗議の意味が込められた執念の作品だった。

1937年4月26日、フランコの要請に応じたヒトラーの空軍が、突然スペインの小さな村ゲルニカを爆撃した。そしてわずか3時間の間に二千人もの村人が殺害されてしまった。この村の全人口は、当時七千人だったから、村の三分の一に近い人々が殺されたことになる。

ピカソは、このことに対して激しい怒りを込めて、わずか一ヶ月の間に、大作「ゲルニカ」を完成させてしまった。それは、縦3.5メートル 、横8メートルにも及ぶ、これまで誰も眼にしないような衝撃的な作品だった。この時の心境についてピカソはこのように言っている。

スペインの戦争は、人民と自由に対する反動の戦争だ。

私の全芸術的生涯は、ただ芸術の死と反動に対する闘いのみであった。

私が制作中の『ゲルニカ』と呼ぶことになる作品と最近の私の全作 品において、スペインを恐怖と死の海に沈み込ませた軍事力に対する私の恐怖感をはっきりと表現している…。

(こんな時代に)他人に無関心でいられようか。

こんなにも豊かなものをもたらしてくれる人生に無頓着でいることなどできるのだろうか。

そんな筈がない。絵画は家を飾るためにあるのではない。

それは敵に対する戦争の防御と攻撃の手段でもある….

いつか平和になったらこの作品をスペインに飾るようにしたい

ピカソの意図した通り、この作品は、当初ニューヨークの近代美術館に展示された。そして世界中に平和の尊さを訴え続けたのであった。今この20世紀の西洋絵画史上最高傑作と言われるゲルニカは、平和となったマドリッドのプラド美術館に飾られている。

今回のピカソ展の作品展示意図に対して、私は大きな疑問を持つ者である。もちろん「ゲルニカ」は、持って来れるわけはないが、少なくても、このゲルニカの習作は、数多く残っているのだから、ピカソのそんな側面も見せて欲しかった。現実を反映しない芸術など、この世に存在しない。

ピカソの芸術は、単なる投機の対象でもでもなければ、小市民の壁の隙間を埋めるような半端な芸術ではない。20世紀という時代の恐怖と怒りに満ちた雰囲気を伝える人間の記憶なのだ。ピカソの怒りを忘れるな。佐藤
 


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1999.05.14