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菅原さん500キロの旅のパネル展について


義経公810年祭・菅原次男500キロの旅

<パネル展>の開催

○日時:平成11年11月22日〜12月19日 AM11:00〜PM4:30 

○場所:宮城県栗原郡栗駒町沼倉法華堂34 和みの家
 この家屋は高橋安敏さんが栗駒建業創立20周年を記念して建てた素敵な日本建築です。

○TEL0228-45-2032開催中は、家の前に笹竜胆の白旗を二旗立てています。

○展示内容 旅の写真。旅で背負った笈。義経公の兜。旅できた白い衣装。笠。白旗。
         「義経ロマン500キロの旅」の記録ビデオ。その他。

どうぞお気軽にお運びください。入場は無料です。

詳しくは、くりこま荘(TEL0228-46-2036)に!!

 

栗駒建業さんの「ザ・大工ホームページ」はこちら
 
 

以下は杉薬師山人ことy−satoさんの「パネル展のレポート」です


本日(平成11年11月23日)、早速拝見してきました。菅原さんは、一宮の修復工事完了のお祝いに参加されているとのことで、お会いできませんでしたが、親族の方に案内されて、色々とお話を伺うことができました。

弘弥さんは「和みの家」をご覧になったことがございますか???とてもすてきな作りをしていました。和の家という感じで、外には昔どこの家にもあった、ギッコンバッタン???の水道があって、旧と新が一緒になったとても懐かしい感じのする、お家でした。

お客さんの数はこれからでしょうか、記帳で2人目でしたか、この後、祝いが終わった人達がなだれ込んでくるというお話でした。

家の中には行脚のパネルの他、「義経復活」のパンフレットが用意されていました。パンフレットの中に貴ホームページの内容がコピーされて、所々に採用されていました。その他「義経伝説」のホームページで紹介されている、「清悦物語」の脚本、菅原さんが調べた義経に関する資料も展示されていました。一宮関係でアテルイの資料も展示されていました。そちらの書き物も、展示してありました。

私もアテルイには興味がありますので、コピーして分けていただけるように、お願いしてきました。もう一度おじゃまする旨をお話しして帰ってきました。

帰りに、深山牧場、荒戸沢ダム経由で帰ってきました。栗駒山は「秋の竜」が見えます。・・・勝手にそう呼んでおります。残雪じゃないものですから。当ホームページの、「栗駒山駒姿情報」に菅原さんのアテルイ像と一緒に写真で紹介しております。ご覧頂けたら幸いです。菅原さんの許可を得ないで、当ホームページに写真を載せて、紹介してしまいました。弘弥さんからも、よろしくお口添えいただけましたら幸いです。

レポートになりますか、まずはご連絡まで。

杉薬師山人


ちなみにこの写真にある男性像は、菅原さんが彫ったアテルイ像です。

上のレポートのアテルイの墓云々については誤解があるといけないので、簡単に説明しておきます。

誤解に基づく伝説では意味がありませんので、y-satoさんすみません。

○さてy-satoさんのアテルイ云々の件について、一言付け加えておきます。

栗駒沼倉にある駒形根神社の一社より以下の印刻が出てきたのです。

奉斉 阿麻弖流意富可美御霊 」(あまてるいふかみみたま)

それだけのことです。ただこの駒形根神社は、坂上田村麻呂が阿弖流為を処刑した後に訪れていることが史実として伝わってきており、自分の力不足で死なせてしまったアテルイの御霊を鎮魂するために、このようなアマテラスオオミカミとも一見読める字を刻印することで、桓武天皇の顔も立てながら、奉斉したのでは?と、

菅原次男氏が「仮説」を立てたことから始まっていることであります。

地元では、栗駒の地元では、オシラ様信仰と同じように女性達だけの祭りとして、アッテロさん信仰というものが、三十年から四十年前までは残っていて、これも阿弖流為と関係のある風習ではないかと菅原氏は考えているようです。
 
 

確かに達谷磐は、一山越えればすぐの所であり考えられないことではありません。

但し先の阿麻弖流意富可美御霊はアマテラスオオミカミとも読むことが出来るわけでもう少し厳密な検証が必要かと思います。

y-satoさんレポートありがとうございます。このHPは義経公のためのものであり、アテルイについては、別の機会に詳説させていただくことをお約束します。
あらぬ誤解を受けぬよう細心の注意を払わなければと思うので、あえて但し書きを付け加えさせていただきました。佐藤
 

*レポートと素敵な写真をお寄せ頂いたy-satoさんに心からの感謝を申し上げます。佐藤


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更新記録
1999.11.26
1999.11.28