神無月のロマン

オオクニヌシ・ロマン1

ウサギが餅つきをするという話を思いながら、こんなことを考えた・・・。

 古来より、10月は、神無月(かんなづき)と表記する。その理由は、日本中の神様が、出雲(現在の島根県)に集まって、会議を開く月だから、他の国には、神様が居なくなるというのである。要するに意まで言えば、県知事会議みたいなことをやっていたのだろう。その意味で神様は、神そのものではなく、やはりその国の長だった人物であった。そこでこの月は、出雲の国だけは神有月となる。まあ10月は、全国で農耕作業、すなわち稲の収穫が終わり、その報告に出雲に集まったと推定される。ここからかつて国家としての日本の中心地は、出雲にあったという説が浮かび上がってくる。

古事記や日本書紀における出雲の国譲り神話は、この出雲から権力の中心が、九州に移っていったことを象徴しているようにも考えられる。
 出雲の王朝の始祖は、言わずと知れたスサノオのミコトで高天原の始祖はアマテラスオオミカミである。神話では、この二人は姉弟ということになっているが、実はまるで関係のない別の王朝の神話を一緒にして、二つの王朝に支配されている民の意識を国家的に統一してしまうためのトリックに過ぎない。簡単に云えば、古事記や日本書紀に書かれている神話の部分は、出雲の神話と高天原の神話をくっつけてシャッフルしているということになる。

さてこの出雲の王朝と邪馬台国(高天原)王朝の間では、国譲りに到るまでに凄まじい戦争があったことが推測される。しかし最後には、当時の出雲の王様であったオオクニヌシ(大国主=大黒様)は、巨大な神殿を建てて祭られることを条件に権力を譲ってしまうのである。最近、出雲で発見された柱の跡の大きさから推定して、最初に建設された出雲大社は、高さが50mもあり、巨大な空中神殿だったと想像されている。

これは私の想像にすぎないが、オオクニヌシは、戦いに敗れて、自分の命と引き替えに、出雲の民を守って自刃したのかもしれない。出雲大社は、そのオオクニヌシの祟りを恐れた高天原系の征服者たちがオオクニヌシの怨霊封じのために建てたものかもしれない。またそれは同時に、これまでの九州から西日本一帯を支配していた出雲王朝の支配権を根こそぎ奪ってしまうための象徴的なモニュメント(記念碑)だったのであろうか・・・。

 神無月の夜、白い月を見ながら、自由に日本の神話を考えるのもいいかも知れない。実にロマンがある話である。佐藤
 


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2000.10.3