相撲の起原について

オオクニヌシ・ロマン2

相撲の歴史を考えることにしよう。

通常、相撲の起源と言えば、ノミノスクネ(野見宿禰)の名が浮かぶ。この人物は、第十一代天皇の時代の人物だが、出雲の人物で、当 時力自慢で有名だった。垂仁7年7月7日(年代不詳)、彼はわざわざ出雲より大和に呼び寄せられ、天皇の御前にて、トウマノケハヤ(当麻蹴速)という者と 相撲を取る。結果はノミノスクネの圧勝。残酷だが、相手を蹴り殺してしまう。天皇はその強さに感激し、ノミノスクネは、天皇に仕えることになる。彼は人格 的にも優れた人物で、殉死を止めさせるために、埴輪(はにわ)を考案したことでも知られている人物だ。その後、年代が下って、相撲節会(すもうせちえ)と いう祭りが、ノミノスクネの逸話に因んで、天平6年(734年)の7月7日から正式に執り行われるようになった。これが大体一般的に語られる相撲の始まり である。

しかし私は、相撲の原形を以下ような古事記の国譲りの逸話に見てしまう。

日本が神話の時代だった大昔、出雲の国を自分の領土にしようとした高天原の女王アマテラスが、タケミカズチという剛の者を使わせ て、老いた出雲の大王オオクニヌシに、「国をアマテラスオオミカミに差し出すか、さもなくば国を滅ぼされたいか」とすごんでみせた。するとオオクニヌシ は、威厳をもって「話は聞いた。しかし私の一存では決めかねる。息子たちに相談して、返事をさせていただくから、しばし待たれよ」と答えた。オオクニヌシ は早速、自分の二人の子供に「国を譲れ」という強引な申し出が高天原のアマテラスからあったことを話したのであった。

まず臆病だが、なかなかの政(まつりごと)上手と云われる息子のヤエコトシロヌシは、「父さんそれは怖いことだ。あの国には、強力 な兵士がわんさかいると聞いています。戦は賢明ではありません。もし国が滅ぼされたら元も子もありません。ここは残念ですが、アマテラスオオミカミに国を 譲って、高天原の一員として生きる算段を考えましょうぞ」と云った。もう一人の息子、タケミナカタは身の丈7尺もある大男で、出雲の英雄スサノオの荒々し さを受け継いだ剛の者であったので、父のオオクニヌシの話を聞くなり、

「そんな馬鹿な。仮にもわが出雲族は、この国を長いことかけて美しい国にするために一身に努力をして参ったのです。お父上、かくな る上は、あの傲慢な国と戦いましょうぞ」と言って、近くにある大岩を「エイッ」と片手で差し上げてみせた。

この親子の話を聞いていたアマテラスの使者タケミカズチは、二人の前にせせら笑いながら飛び出してきて、
「やいやい、タケミナカタとやら、たいそう力自慢らしいが、相手を見てから返事をした方がいいぞ。殺されたいか」
「貴様は、何者?」
「俺か、俺はな、高天原一の怪力のタケミカズチよ」
「何、タケミカズチだと」
「俺と同じような名を付けおって、かくなる上は、力で勝負、勝負」

こうして二人は散々に相撲を取り、投げたり投げられたり、結局形勢は次第にタケミカズチに有利となり、とうとうタケミナカタは、命 からがら出雲から信濃(長野県)の諏訪湖の付近まで逃げてしまった。タケミナカタは、タケミカズチとの死闘の負傷が元で死んでしまった。

オオクニヌシは二人の相撲をじっと見ていたが、息子が敗死してしまったことで、すっかり覚悟を決めて、タケミカズチにこういった。
「かくなる上は、アマテラス様の仰せに従いましょう。ひとつだけ御願いがあります。私も一国の大王と云われ た男。わが息子たちとわが民が、アマテラスの国の一員となり、平和に暮らしていけるように神殿をお作りください。その神殿は、高天原と出雲がひとつになっ た証として、未来永劫、縁結びの宮と讃えられるでありましょう。そしてこの出雲の国は、息子のヤエコトシロヌシにお任せいただければ、アマテラス様の部下 を立派に務めましょう。」
そう言い終わると、若い頃、因幡(いなば)のうさぎまで助けた心優しきオオクニヌシは静に事切れた。自分の命と引き替えに、出雲の民を守ったのである。

私が相撲の起原と考える古事記の「国譲り神話」は、このアマテラスの部下のタケミカズチとオオクニヌシの息子のタケミナカタの戦さ を象徴的に表現したものである。もっと分かりやすくいえば、相撲は古代の高天原族(天孫族)と出雲族の戦争の神話化と云って差し支えあるまい。さてタケミ ナカタが最終的に戦によって落ちのびて死んだと思われる信濃には、タケミナカタの怨霊を鎮めるために諏訪大社が造られ、出雲には、オオクニヌシを祀る巨大 な神殿、出雲大社が造られたのであった。

この相撲の原形を国譲りのタケミカズチとタケミナカタの力比べとみる見方については、西郷信綱氏も、ノミノスクネ論(「古代人と 死」所収 平凡社1999年)で、「よほど相撲に近い」と語っているところである。さて、現在の大相撲ファンの中に、このオオクニヌシのミコトにまつわる 「国譲り」の悲しいエピソードを知っている人は、どのくらいいるであろう。佐藤
 


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2000.10.4