随想 アイヌ語地名考

 
No.45 ◎ 花巻市のアィヌ語地名

…鍋倉(なべくら)…

「なべくら」の地名は、山頂が鍋を伏せたような形をした岩山に名づけられる名前であるといわれておりますが…。

しかし、「なべくら」の地名は岩手県下に十数か所も見え、その多くは山の名である釜石市の「鍋倉山」と宮古市の「鍋倉山」を除き、そのほかは谷間や平地にある地名でありますから、この地名は必ずしとも、山の名を表すものであるとはいえないと思います。

この地名は、おそらく、アィヌ語を語源に持つ古地名である可能性があり、次のように解釈されると思います。
「なべくら」は、=アィヌ語の「ナム・ペ・クラ(nam・pe・kura)」で、その意味は、
=「冷たい・水の・岩崖」になります。

…鍋割川(なべわりがわ)…

「なべわり川」の「なべわり」もアィヌ語を語源に持つ次のような古地名であると考えられます。
「なべわり」の語源は、=アィヌ語の「ナム・ペ・ウワリ・イ(nam・pe・uwari・i)」で、その意味は、
=「冷たい・水が・産まれる・所」であります。

ただし、現代アィヌ語では音韻変化して、発音が「ナムプワリ(nampuwari)」になるのですが、当時のアィヌ語では、おそらく、原語に近い発音で話され、次のようになっていたと思われます。
=「ナムペウワリ(nampeuwari)」で、その意味には変わりなく、
=「冷たい・水が・産まれる・所」だと思います。

つまり、和語で申しますと、=「清水が湧く所」になります。

…栃内(とちない)…

和語で「とちない」とは、そこに「トチの木がある所」ということで名づけられた集落の地名である…などと説明されたりしているようですが…。

この地名は、アィヌ語系の古地名であり、次のように解釈することができます。
「とちない」の語源は、=アィヌ語の「トチ・ナィ(tochi・nay)」で、その意味は、
=「トチノキの・沢」になります。

「トチ」はアィヌ語と和語との共通語であります。

ここでアィヌ語だと申しますのは「トチ・ナィ」と語尾にアィヌ語の「ナィ」と見られる漢字の「内」がついているからです。

…猫塚(ねこづか)…

「ねこづか」の地名は、昔、この地に猫の供養塚が建てられてあったということで名づけられた地名だともいわれておりますが…。

この地名も、どうやら、次のようなアィヌ語系の古地名であろう…と考えられます。
「ねこづか」は、=アィヌ語の「ナィ・コッ・カ(nay・kot・ka)」の転訛で、その意味は、
=「川・跡・の上」になります。

…尻平川(しったいがわ)…

「しったい川」の「しったい」も、おそらく、次のようなアィヌ語系の古地名だと思います。

1.「しったい」は、=アィヌ語の「スッ・タィ(sut・tay)」が語源で、その意味は、
=「麓の・森」になります。
したがって「しったい川」は、=「麓の・森の・川」になります。

2.「しったい」は、=アィヌ語の「シ・ツ・タィ(si・tu・tay)」が語源で、その意味は、
=「尾根の・森」になります。

3.「しったい」は、=アィヌ語の「スツ・タィ(sutu・tay)」が語源で、その意味は、
=「ブドウ蔓の(多い)・森」とも解釈されます。

…志戸平(しどたいら)…

「しどたいら」は、多分にアィヌ語系の古地名である可能性が大きく、次のように解釈することができます。
「しどたいら」は、=アィヌ語の「シットク・タィ(sittok・tay)」が語源で、その意味は、
=「曲がり角の・森」になります。

「シットク」は、「肘(ひじ)」のことであり、現代アィヌ語では「曲がり角」の意味に使われており、現地の地形によく合致しています。

…根子(ねこ)…

北東北にある「猫」や「根子」などの地名も、多くの場合、アィヌ語系の古地名であることが多いようです。

花巻市の「根子(ねこ)」の地名も、次のようなアィヌ語系の古地名であると考えられます。

1.「ねこ」の語源は、=アィヌ語の「ナィ・コッ(nay・kot)」で、その意味は、
=「川・跡」になります。

もしかすると次のようにも解釈できます。

2.「ねこ」の語源は、=アィヌ語の「ネッ・コッ(net・kot)」で、その意味は、
=「流木溜りの・谷間」になります。

…江釣子森山(えづりこもりやま)…

「えづりこ森山」の「えづりこ」は、北上市の「江釣子古墳群」のある「えづりこ」の地名と同じで、次のように解釈されます。
「えづりこ」の地名の語源は、=アィヌ語の「カムィ・ヘチリコ(kamuy・hechiriko)」で、その意味は、
=「神々の・遊び場」だといわれます。

「ヘチリコ」には「輪になって踊る所」という意味もありますから、
=「神々が・輪になって踊る・所」とも解釈されます。

したがって、この地名の意味は「神々が集まる聖地」でもあります。

ところが、この地名の由来についてもう少し掘り下げて考えますと、次のようになるともいわれております。

「えづりこ」=「カムィ・ヘチリコ」の地名は、実は、エミシ社会に貢献した族長クラスの人たちが特別に埋葬されて眠っておられる聖地であり、「カムィ・ポクナ・コタン(kamuy・pokna・kotan)」で、「神々の(眠る)・あの世の・村」を意味する地名だという解説もあるようであります。

つまり、「カムィ・ポクナ・コタン」とは、あの世に逝かれた「先祖の神々が輪になって踊られる所」→「神々の・遊び場」ということであり、そこがすなわち、「カムィ・ヘチリコ」である…ということのようです。

…似内(にたない)…

「にたない」の語源は、=アィヌ語の「ニタッ・ナィ(nitat・nay)」で、その意味は、
=「湿地の・沢」になります。

…母衣輪(ほろわ)…

北海道の地名に出てくる「ほろ」とか「ポロ」のつく地名は、アィヌ語の「ポロ(大きい)」を語源とする地名である場合がほとんどであり、その傾向は津軽海峡を越えて青森県内辺りまで続くというのが金田一京助先生や山田秀三先生の見解のようです。

しかし、花巻市の「ほろわ」の「ほろ」は、アィヌ語系古地名だとすると、その意味が「大きい」という意味の「ポロ」だとはいいきれないようなので難しいのですが、次のように解釈したらよいかと思います。

1.「ほろわ」の語源は、=アィヌ語の「ホル・オ・ワ(hor・o・wa)」→「ホロワ(horowa)」で、その意味は、
=「物を漬ける(うるかす)・岸辺」になります。

2.「ほろわ」の語源は、=アィヌ語の「ホロ・ワ・イ(horo・wa・i)」の後略の「ホロ・ワ(horo・wa)」で、その意味は、
=「川谷を・歩いて渉る・所」とも解釈できます。

ただし、この[2]の解釈は「ホロ」に「川谷」の意味があると考えた上での解釈事例であります。

…稗貫(ひえぬき)…

「ひえぬき」は初め「稗縫(ひえぬい)」と呼ばれていたようであり、日本後紀弘仁2年(紀元811年)正月11日条に「陸奥国に和我、稗縫、斯波三郡を置く」と出ているのが初見のようであります。

「ひえぬき」の地名は、初め「ひえぬい」だったというところにこの語の語源の意味が隠されていると思いますので、そのことを手がかりに解明を進めたいと思います。

初めに、「ひえぬい」の地名は和語系か、アィヌ語系かということでありますが、この地名はそのどちらでもなく古朝鮮語系だとするお説も提示されているようで、少々戸惑いを感ずるところもあるわけであります。しかし、私は、これもやはり、アィヌ語系の古地名と見て次のように解釈できるのではないか…と考えておるわけであります。
「ひえぬい」の語源は、=「ヒエ・ヌウェ・アン・イ(hie・nuwe・an・i)」の後略の「ヒエ・ヌウェ(hie・nuwe)」で、その意味は、
=「ヒエ・豊作・である・所」だと思います。

アィヌ語で「ヒエ」は「ピヤパ」であり、アィヌ語族の人たちの主要な食料でありましたが、北東北の古代エミシの人たちにとっても同じで、「ヒエ」は干しサケ(チナナ)と共に、年中欠かすことのできない主要な食べ物だったようであります。

ここで、「ヒエ」はアィヌ語ではないではないか…とおっしゃる方々もおありでしょうが、「ヒエ」はエミシの人たちが先祖から受け継いだネーチブな穀物であり、大和の人たちからタネをもらい受けた類の穀物だとは言い切れません。そして、エミシの人たちは「ヒエ」のことをアィヌ語で「ピヤパ」といっていたことはたしかだと思いますが、同時に和人たちと同じに「ヒエ」ともいっていたと考えてほぼ間違いないと思われます。北海道のアィヌの人たちもアィヌ語で「ピヤパ」といったり「アィヌ・アマム(アィヌの・穀物)」と呼んだりしますが、そのほかに「ヒエ」ともいっていたことはたしかであります。

したがって、その昔、エミシの人たちが「ヒエ」を「ピヤパ」といい、「稗貫地方」のことを「ピヤパ・ヌウェ・アン・イ(ヒエ・豊作・である・所)」といっていたとしても不思議はなく、それを彼らが「ヒエ・ヌウェ」といい、さらにそれを、大和の役人が和訳して郡名に当てて「稗(ヒエ)・縫(ヌィエ)・郡」と書くように決めたとしても、また、何の不思議もないとことだと考えられるのです。
 
 
 

No.47 ◎ 北上市のアィヌ語地名

…更木(さらき)…

「さらき」は、「新柵」、「新城」または「更城」のうちのどれかとの書き違えで、「新しい柵」もしくは「新しい城」のことをいう…などと説明されているようですが…。

ところが、北上市の「さらき」はアィヌ語を語源に持つ次のような古地名ではないか…といわれているようです。
「さらき」の語源は、=アィヌ語の「サラ・キム(sara・kim)」の転訛で、その意味は、
=「地肌が現われている・山」になります。

「更木村史」では「さらき」の語源はアィヌ語で「山の麓が洗われている」という意味であるというように説明されていますが…。

「地肌が現われている」という表現と「麓が洗われている」という表現には微妙な違いがありますが、思いきって申しますと、そのどちらでも、そこを流れる北上川の曲流の水の圧力によって川岸の地表が洗われて地肌が現れている…ということであり、つまるところ、両者の意味は同じだということができると思います。

…口内(くちない)…

近年「くちない」の地名もアィヌ語系の古地名であろうという声が地元の人たち自身の口からも聞けるようになってきているようです。

「くちない」についてアィヌ語系古地名説の立場に立っていえば、次のように説明することができると思います。
「くちない」の語源は、=アィヌ語の「クッ・ナィ(kut・nay)」で、その意味は、
=「岩崖の・川」になります。

この地名は「口内川」を指す地名だったと思います。

…万内(まんない)…

「まんない」の語源は、=アィヌ語の「オマン・ル・ナィ(oman・ru・nay)」で、その意味は、
=「山の方に入って行く・道の・沢」になります。

…金成(かんなり)…

「かんなり」の地名は、「神成」とも書かれ、岩手県内には合わせて9か所ほど見えます。そのいずれの地名の由来も「神鳴り」=「雷(かみなり)」の転訛だと説明されているようですが…。

しかし、この「かんなり」は、その漢字の表記はどうあれ、古代から引き継がれた古い地名のようであり、次のようなアィヌ語系の古地名である確率が高いように思います。
「かんなり」の語源は、=アィヌ語の「ヌプリ・カ・ウン・ナィ(nupuri・ka・un・nay)」で、その語頭の「ヌプリ」が省略された形の地名であると考えられ、その元の意味は、
=「山・の上て・に入って行く・川」になります。

和語には「山・の上て・に入って行く・川」という表現はありませんが、アィヌ語には、彼らアィヌ語族特有の表現としてこのような言語習慣があるわけであります。

それはどうしてかと申しますと、彼らの先祖はフィッシャー兼ハンターで、海の魚介類を好んで漁獲するほか、サケやマスを主要な食料とする食習慣になじんでいた関係上、彼らはサケ・マスの遡上する川の川口付近やその川口に近い海岸に住んで、サケ・マスや魚介類の漁労を主たる生業(なりわい)としながら、丸木舟で自分たちの川をさかのぼってハンティングに出かけ、上流で山に入ってハンティングをし、獲った獲物を舟に積んで川を下って家に帰りました。

このような暮らしの中から自然に身についたのは、川を見るのに川口を起点に考え、「川は海から入って陸の奥に上って行くものである」…という環境認識でした。
(注:“かんなり”については久慈市のところをご参照ください)

…岩脇(いわき)…

「いわき」は、和語の「岩の脇」とか「岩崖の脇」という意味のように理解されているようですが…。

この北上市の「岩脇(いわき)」は、アィヌ語系古地名だと考えられ、次のように解釈されます。
「いわき」は、=アィヌ語の「カムィ・イワク・イ(kamuy・iwak・i)」の「カムィ(kamuy)」が省略された形の「イワク・イ(iwak・i)」→「イワキ(iwaki)」の転訛であり、その意味は、
=「神・住みたまう・所」になります。

この「イワク・イ」→「イワキ」が語源だったと思われるアィヌ語地名が、北東北に意外に多いようです。

青森県の津軽地方の聖山と仰がれる「岩木山」の「いわき」の語源は、この「カムィ・イワク・イ」→「カムィ・イワキ」だったという話は、今ここでわざわざ説明するまでもなく、私たち東北人の誰しもが知る常識となっております。

岩手県内には「岩脇」と書いて「いわき」と読むところが4か所、「いわわき」と読むところが5か所、そのほかに「岩城(いわき)」、「岩明(いわあき)」などの地名があります。そして、歴史上の人物の名前に、紀元802年(延暦21年)に大和に捕らえられて阿弖流為(あてるい)と共に河内の杜山で処刑されたエミシの国のリーダー「盤具公母礼(いわぐのきみもれ)」がいますが、この人の名に冠せられた「盤具公」の「いわぐ(いわく)」も、「岩脇」の地名の語源と同じ「神・住みたまう・所」という意味だったと考えられ、彼はその「イワク」の村の族長の地位にあった人物だったと思います。

…相去(あいさり)…

「あいさり」の語源は、=アィヌ語の「アィ・サル(ay・sar)」で、その意味は、
=「イラクサの・茂み」になります。

この地名は「イラクサ」が密生している所に名づけられた地名だと思います。

「イラクサ」は岩手方言の「アイッコ」で、主要な山菜のひとつです。

アィヌ語族の人たちは、地に生えている生のままの「イラクサ」のことを「モセ」といいます。それが秋になって枯れたのを刈り取りますが、刈り取った状態のものについては「アィ」または「ハィ」と呼びます。彼らはその刈り取った「アィ(ハィ)」の繊維を糸に撚り、白くさらして布に織ります。布に織ったものについては、別に「レタル・ペ(白くある・もの)」といいます。

アィヌの人たちの元々の衣料はクマやシカやアザラシなどの獣皮でありましたが、後に、草の繊維である「イラクサ」とか、木の繊維である「オヒョウニレ」や「ハルニレ」の樹皮が主に使われるようになりました。

その中で、樺太アィヌの人たちは好んで「イラクサ」の繊維で着物を作りました。

…鬼柳(おにやなぎ)…

「おにやなぎ」は「老い柳(おいやなぎ)」の転訛だとか、「荻柳(おぎやなぎ)」が訛ったものである…などと説明されたりしているようですが…。

しかし、これがアィヌ語系の古地名だとすると次のようにすっきりとした解釈ができます。
「おにやなぎ」は、=「オ・ニ・ヤン・ナィ(o・ni・yan・nay)」→「オニヤナィ(oniyanay)」の転訛で、その意味は、
=「川尻に・流木が・寄り上がる・川」になります。

…飯豊(いいとよ)…

「いいとよ」の地名は、そこに「叡登誉(えとよ)神社」が祭られていたことにちなんで名づけられたものである…と一般に信じられているようですが…。

しかし、別にこれが次のようなアィヌ語系の古地名であろう…という見方もあるわけであります。
「いいとよ」は、=アィヌ語の「エ・エン・タィ(e・en・tay)」→「エンタィ(entay)」の転訛で、その意味は、
=「頭が・尖っている・森山」になります。

北上市の「和我叡登誉神社(わがえとよじんじゃ)」のそばにある「飯豊森」は標高132mの美しい尖り山の孤山でありますが、たしかに南面の姿は頭が尖った森山に見え、地元の人たちから「えんで森」と呼ばれてきました。

岩手県内には沢内村に「飯豊(いいとよ=えんで)」と呼ばれてきた集落があり、その傍らに志賀来山という美しい尖り山があり、その山は、かつて、おそらく、「エ・エン・タィ」→「エンタィ」と呼ばれていたものと推定されます。遠野市にも「飯豊」という集落があり、そのすぐ裏に頭の尖った森山があります。そのほかにも、「飯豊」の地名がある所に、多くの場合、「エ・エン・タィ」→「エンタィ」の「尖り山」があり、それが地域の人たちから聖山として敬愛されているのが通例であります。

したがって、北上市の「飯豊森」も、そこに「叡登誉神社」が祭られているから「飯豊森」だというのではなく、そこの聖なる山「エンタィ」があり、そこに祭られた神社だから「叡登誉神社」になったということであります。つまり、「叡登誉」とは「飯豊」のことであって、その語源は、古代エミシの時代のアィヌ語の「エ・エン・タィ」→「エンタィ」だったというわけであります。

「エンタィ」を東北人が話すと訛って「えんでー」になるわけです。その「えんでー」に後から当て字されたのが、すなわち、北上市などの「飯豊(いいとよ)」であり、江刺市の「伊手」であります。

…江釣子(えづりこ)…

江釣子古墳群で有名な「えづりこ」も、次のようなアィヌ語系古地名であるということは、今や衆知の事実であります。
「えづりこ」の地名の語源は、=アィヌ語の「カムィ・ヘチリコ(kamuy・hechiriko)」で、その意味は、
=「神々の・遊ぶ所」→「神々が・輪になって踊る所」になります。

この場合の「神々」とは「偉大な先祖たち」を意味するものと考えられます。

つまり、「えづりこ」は、=「カムィ・ヘチリコ」の語頭の「カムィ」が省略された形の転訛地名であり、「エチリコ」ともいわれます。

…猫谷地(ねこやち)…

和語で考えると「ねこやち」は「猫がいる湿原」ということになり、水が苦手なネコがどうして湿原にいるのだろうかと不審に思います。

この「ねこやち」も、実は次のようなアィヌ語を語源に持つ古地名であることが確実なようです。
「ねこやち」の語源は、アィヌ語の「ナィ・コッ・ヤチ(nay・kot・yachi)」で、その意味は、
=「川・跡の・湿原」になります。

…吉内(きちない)…

「きちない」も、アィヌ語の「ナィ地名」と見るのが正しいと考えられ、次のように解釈できます。
「きちない」の語源は、=アィヌ語の「キ・ツ・ナィ(ki・tu・nay)」で、その意味は、
=「ススキの・尾根の・沢」になります。

…煤孫(すすまご)…

「すすまご」も、和語では説明が困難であり、どう見ても次のようなアィヌ語系の古地名であると考えられます。
「すすまご」は、=アィヌ語の「スス・マク・ウン・コッ(susu・mak・un・kot)」の転訛で、その意味は、
=「ヤナギの木・の後ろ・にある・窪地」になります。

…菱内川(ひしないがわ)…

「ひしない川」の「ひしない」の地名も、次のようなアィヌ語系の古地名であると思います。
「ひしない」は、=アィヌ語の「チ・ペシ・ナィ(chi・pes・nay)」の語頭の「チ(我れら)」が省略された形の「ペシ・ナィ」であり、次のように解釈されます。
=「我ら・それに沿って下る・川」→「それに沿って下る・川」になります。

…本畑(もとはた)…

この「もとはた」が和語であるか、アィヌ語を語源に持つ古地名であるかどうかの判別は難しいようですが、おそらく、昔の地名は「もとはた」ではなく「ほんはた」だったのではないか…と考えられます。

この地名が、昔、「ほんはた」と呼ばれていたとすると、これは、次のようなアィヌ語系古地名である確率が高いと考えられます。
「ほんはた」は、=アィヌ語の「ポン・ハッタル(pon・hattar)」の転訛で、その意味は、
=「小さい(方の)・淵」になります。

このような場合は、付近に「ポロ・ハッタル」=「大きい(方の)・淵」があったはずでありますが、現在それを確定するのは困難なようです。

…夏油(げとう)…

「夏油温泉」や「夏油高原」で有名な「げとう」は、昔、「外戸」と書いて「げと」と読んでいたといわれ、「山野の仮小屋」という意味の地名である…などという説明もありますが…。

この「げとう」も、次のようなアィヌ語系の古地名であると考えられます。
「げとう」は、=アィヌ語の「ケッ・オ・イ(ket・o・i)」の後略形の「ケッ・オ(ket・o)」→「ケト(keto)」であり、その意味は、
=「毛皮干し張り枠が・多くある・所」になります。

…アッシ沢(あっしざわ)…

山口の「アッシ沢」の「アッシ」も、次のようなアィヌ語系古地名だと思います。
「アッシ」は、=アィヌ語の「アッ・ウシ・イ(at・us・i)」→「アツシ(atusi)」で、その意味は、
=「オヒョウニレが、群生する・所」になります。

したがって、「アッシ沢」は、=アィヌ語で「アツシ・ナィ(atusi・nay)」と呼ばれていたものと思われます。

「オヒョウニレ」は、アィヌ語族の人たちの大事な木であり、その樹皮から繊維を採り、その繊維を「アツシ」という織物に織って衣服に仕立てます。
 
 
 
 


 

No.50 ◎ 江刺市のアィヌ語地名

…江刺(えさし)…

「えさし」の地名由来は、この地方が紀元802年?同804年(延暦21年?同23年)あたりに一足先に建郡されていた胆沢郡の前(さき)にあるということで、初め「胆前(いさき)」と呼ばれていたということで、「えさし」の地名はその「いさき」から転訛した地名であろう…などという説もありますが…。

しかし、胆沢郡の建郡から10年足らずの紀元811年(弘仁2年)に、その周辺の和我、稗縫(ひえぬい)、志波の3郡が建郡されているので、江刺郡の建郡もその直後あたりになされたものと考えられます。…そうだとすると、その間わずか10年足らずか、ないしは10年そこそこのうちに、「いさき」が「えさし」に転訛したなどということは考えにくいことだと思います。

そこで気がつくことは、「えさし」は、その発音も近いし、その地域の地形にも見合った次のようなアィヌ語地名からの転訛地名ではないか…という見方が成り立つと思うのです。
「えさし」の語源は、=アィヌ語の「エサウシ(esausi)」で、その意味は、
=「頭を前(川)に突き出している者」になります。

北海道にある類似地名の事例として「江差(えさし)」と「枝幸(えさし)」があります。

ただし、これら二つの北海道の「えさし」の地名は、川岸にある地名ではなく、海岸にある地名なので、「頭を前(川)に突き出している者」ではなく、「頭を前(浜)に突き出している者」→「岬」という意味として理解されているわけであります。
「エサウシ」は、分解すると、次のように解釈されます。
=「エ(頭を)・サ(前・浜)・ウシ(につけている)・イ(者)」→「頭を前(川)に突き出している者」になります。

この地名は、おそらく、北上川の左岸の丘が北上川に突き出ていた地形に名づけられた地名のように受け止められます。

そうだとすると、そのような地形の所は現在の江刺市の北辺の正源寺台から、元江刺郡に属していた現在の北上市の樺山遺跡の丘、その北の岩脇の男山、さらにはもっと北の立花あたりがアィヌ語の「エサウシ(頭を川に突き出している者)」という地形に合致すると思います。ことに「立花」は、元「断鼻(たちばな)」だったといわれ、アィヌ語の「エサウシ」の名にふさわしい地形であります。ただし、「立花」が「エサウシ」だとなれば、少々北に寄り過ぎて旧和賀郡の領域ではないか…といわれそうですが、古代にはいかがだったのでしょうか。

…伊出(いで)…

「いで」の地名由来は「飯出(いいで)」の転訛で、「食料が多く産出される所」という意味である…などと説明されたりしていますが…。

しかし、この「いで」は、おそらく、古代エミシの人たちが遺してくれた次のようなアィヌ語系古地名であると考えられます。
「いで」は、北上市の「飯豊(いいとよ)」の語源と同じアィヌ語の「エ・エン・タィ(e・en・tay)」→「エンタィ(entay)」からの転訛で、その意味は、
=「頭が・尖っている・森山」になります。

北上市や遠野市などには、「飯豊」の地名があって、やはり、そこにも、昔から地域の人たちがそれぞれ「えんでー」と訛って呼んできた、ないしは、呼んでいたであろう「頭が・尖って居る・森山」が実在しております。そして、それが間違いなく、昔のエミシの人たちが「エ・エン・タィ」→「エンタイ」と呼んでいた森山であるということがわかります。

つまり、上記の事例でも明らかなように、この「伊出」の地名も、北上市や沢内村の「飯豊」と同じように、その語源がアィヌ語の「エンタィ」であったのが、いつの間にか東北人特有の訛で、「えんでー」→「いで」と呼ぶようになったものだと考えられるのです。

くどいようですが、言い方を変えて申し上げますと、北上市や遠野市に、「飯豊」の地名がありますが、この地名は、アィヌ語の「エ・エン・タィ」→「エンタィ(頭が・尖っている・森山)」の転訛地名の「えんでー」が先にあったところに、後から、その当て字地名として漢字の「飯豊」が当てられたものであり、ここ江刺市でも、アィヌ語の「エ・エン・タィ」→「エンタィ」の転訛地名だった「えんでー」が先にあったところに、後から、その当て字地名として漢字表記の「伊出」が当てられたものである…と考えられるわけであります。

…と申しますと、地元の「伊出」の方々から、「それならが、おらほのその“えんでー”だといわれる“頭が尖っている森山”というのはどの山のことか」と聞き返されるでありましょうが、その山と申しますのは、江刺市立南中学校の裏山の「銚子山(ちょうしやま)」のことだと考えられます。

「銚子山」は、かつて、エミシの人たちから崇敬され、慣れ親しまれた聖山であり、「チ・ノミ・シル」=「我ら・祭る・丘」であって、その呼称は「エ・エン・タィ」であり、これが少しく音韻変化して「エンタィ」と呼ばれ、次いで、訛って「えんでー」と呼ばれるようになっていたものと思うのです。

なお、つけ加えますと、「いいとよ(えんでー)」の語源は、=アィヌ語の「エ・エン・タィ」ではなく、「エ・エン・トィ(e・en・toy)」であり、その意味は、=「頭が・尖っている・盛山」だという説もありますが、私は、やはり、「エ・エン・トィ」ではなく、「エ・エン・タィ」であり、その意味は、=「頭が・尖っている・森山」でよいのではないかと考えております。

ただし、現代人はこのような姿の山のことを「大昔の人たちの手で造られた人工のピラミット」だろう…などと本気で想像しがちですが、古代エミシの人たちは「神々の手で造られた聖なる大自然の山」と考えておられたようであります。

…岩明(いわあき)…

銚子山の麓に「岩明(いわあき)」の地名がありますが、この地名は多分に次のようなアィヌ語系の古地名である可能性が高いと思います。
「いわあき」の語源は、ほかの「岩脇(いわき・いわわき)」などの地名と同じアィヌ語の「カムィ・イワク・イ(kamuy・iwak・i)」の省略形の、
=「イワキ(iwaki)」の転訛地名であり、その意味は、
=「神・住みたまう・所」と解されます。

この「イワキ」はアィヌ語族の人たちの信ずる「聖なる山」のことを呼ぶ地名用語だったらしいのです。したがって、伊出の場合の「いわあき」は、この地方で特に聖なる山と仰がれていた「銚子山」のことであり、それがアィヌ語名の「イワキ」の転訛地名の「いわあき」だったと考えられるのです。

…つまり、エミシの時代の「銚子山」には「カムィ・エンタィ」と「カムィ・イワキ」という二つのアィヌ語名がついていたということがわかります。

…人首(ひとかべ)…

昔、坂上田村麻呂が大森山でエミシの王将大武丸の一子「人首丸」の首をはねたという伝説があり、その伝説にちなんで名づけられたのがこの「ひとかべ」の地名である…などと伝えられておりますが…。

この地名も、おそらく、次のようなアィヌ語を語源に持つ古地名である確率が高いと思います。
「ひとかべ」の語源は、=アィヌ語の「シットケゥ・ペッ(sittokew・pet)」で、その意味は、
=肘のような曲り角の・川」になります。

アィヌ語で「シットケゥ」は、=「シットク(sittok)」でもよく、現在は「曲がり角」の意味ですが、古くは「肘」のことをいいました。

このように、「人首」は「ひとこうべ」とも読み、その発音は、アィヌ語の「シットケゥ・ペッ」→「シットク・ペッ」に限りなく近いことがわかります。

この地名は、「人首川」の流れが、かつて、「人首」と呼ばれていた現在の「米里」の所で、およそ、直角に、つまり、肘のように曲がっている事実と合致します。

地名の由来に伝説の「大武丸」が出てきましたが、この人物こそは、大和の人々から「悪路王」とか「高丸悪路」だとかいわれ、日本古代の悪逆非道の「鬼」にされてきた人物でありますが、事実はそうではなく、彼こそは、エミシの国日高見に不当に攻め込んで来た大和朝廷の大軍を迎え撃って、雄々しく戦ったエミシの国の正義のリーダーであり、英雄であった「阿弖流為(アテルイ)」その人だったということが明らかであります。

また、このように、大武丸の一子ということで、「人首丸」の名も登場しているのですが、この「人首丸」という名前も、大和の人たちから悪意と蔑視をもって押し着せられた和風蔑称であって、ふさわしい名前とはいえません。もしも、彼にふさわしいあたりまえの名前をおくるとしたら、その名前は「至徳部丸(しとくべまる)」とでもおくるのが相当であると思いますが、いかがでしょうか。

…阿茶山(あちゃやま)…

「あちゃ山」の「あちゃ」も、アィヌ語系の古地名であると考えられ、次のような解釈があります。
「あちゃ山」の「あちゃ」の語源は、=アィヌ語の「ア・チャ(a・cha)」で、その意味は、
=「我ら・刈る」になりますが、これは「ア・キ・チャ(a・ki・cha)」の「キ(ki)」=「カヤ」が省略された形だと解釈されますので、これを訳すときには「キ(ki)」があるものとして扱い、次のように解釈されます。
「あちゃ」の語源は、=アィヌ語の「ア・キ・チャ(a・ki・cha)」→「ア・チャ(a・cha)」で、その意味は、
=「我ら・カヤを・刈る」になります。

したがって、「あちゃ山」の元の呼び名は、
=「ア・チャ・キム(a・cha・kim)」の後略の形で、その意味は、
=「我ら・カヤを刈る・山」で通用していたものと考えられます。

…根津葉(ねつば)…

「ねつば」も次のようなアィヌ語系古地名であると考えられます。
「ねつば」の語源は、=アィヌ語の「ネッ・パ(net・pa)」で、その意味は、
=「流木溜りの・岸」だと思います。

アィヌ語の「パ(pa)」にはいろいろな意味があり、いつも迷うのですが、この場合の意味は「岸」だと思います。「パ」を「岸」と解するのは道南系のアィヌ語であり、本州の北東北との関係が深かったのではないかと、言葉の上でもうかがえるように思います。

…学間沢(がくまざわ)…

「がくま沢」の「がくま」の語源もアィヌ語ではないかと考えられ、次のように解釈されます。

1.「がくま」の語源は、=アィヌ語の「カ・クマ(ka・kuma)」で、その意味は、
=「糸わなの・横山」になります。

したがって、「がくま沢」とは、=カ・クマ・ナィ(ka・kuma・nay)」で、その意味は、
=「糸わなの・横山の・沢」になります。

2.「がくま」は、=アィヌ語の「カクム・ナィ(kakkum・nay)」の転訛で、その意味は、
=「ひしゃくの・沢」になります。

ここは曲げわっぱとかカバ細工の「ひしゃく」の産地であることを表す地名だったとも思います。
「学間沢(がくまざわ)」は、峠を越えた東和町の「覚間沢(かくまざわ)」と地続きで、その昔はどちらも同じ意味のアィヌ語地名だったようです。

…猫沢(ねこざわ)…

「ねこ沢」も「ネコがいる沢」という意味ではなく、次のようなアィヌ語系の古地名である可能性が十分にあります。
「ねこ沢」の「ねこ」は、=アィヌ語の「ナィ・コッ(nay・kot)」の転訛で、その意味は、
=「川・跡」になります。

したがって、「ねこ沢」は、=「川・跡の・沢」になります。

…四釜田(しかまだ)…

「しかまだ」の「しかま」は、「北北西の風」という方言であり、「しかまだ」とは「北北西の風が吹く田」ということだという説もあるようでありますが…。

この地名も次のようなアィヌ語系古地名だとも考えられます。
「しかまだ」は、=アィヌ語の「シ・クマ・タィ(si・kuma・tay)」の転訛で、その意味は、
=「大きな・横山の・森」になります。

…角掛(つのかけ)…

「つのかけ」の地名の由来は、中世にこの地を支配していた「角懸氏」の姓にちなむという説があるようですが…。

しかし、「つのかけ」の地名は中世以前からあった古地名である可能性も十分にあると思われ、次のようなアィヌ語系の古地名であると考えられます。
「つのかけ」は、=アィヌ語の「ツ・ノカ・ケ(tu・noka・ke)」で、その意味は、
=「岬・の形の・所」になります。

ちなみに、滝沢村にも同系の地名である「角掛」があります。

…幕内(まくない)…

藤里に「まくない」がありますが、この地名も次のようなアィヌ語系古地名だと思います。
「まくない」の語源は、=アィヌ語の「マク・ナィ(mak・nay)」で、その意味は、
=「奥の・沢」になります。

この「幕内(まくない)」の地名が「まくうち」と読まれて人の姓になっております。

「幕内」の姓の方々が私の知っている限りでは田野畑村や陸前高田市や盛岡市におられます。
 
 
 
 



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2002.4.1
2002.4.14
H.sato