平家物語の「奢り」について

 
 

「おごる」という言葉がある。漢字の表記は、奢る、驕る、傲る、となる。まさに大に者と書いて「奢る」ということことが全てのような気がする。つまり「おごる」とは、己を大きい者だと過信して、相手を見下し、贅沢に耽ることである。人が「奢る」結果どうなるか、と言えば、それは平家物語が説く如く、滅びの道に至ることになる。

平家物語では、「奢る」という言葉が、たったの二回しか使われていない。あの長編にしてたったの二回である。しかもその二回の使用も、物語全体の序文あるいは跋文とも言うべき巻第一の冒頭「祇園精舎」においてだけである。ただ平家物語を読む者は、この「奢る」という言葉の持つ響きと意味を忘れることはない。つまりそれほど「奢る」という言葉が、日本人の心に深く残っていることは、実に驚くべきことであり、何か特別に意味のあることのようにも思えてくる。

平家物語の冒頭の部分を引用してみよう。
 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す。奢れる者も久しからず、たた春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ、遠く異朝をとぶらうに、秦の趙高、漢の王まう、・・・これらは皆旧主先皇の政(まつりごと)に従わず、楽しみを極め、諫(いさ)めをも思い入れず、天下の乱れん事をも悟らずして、民間の憂うる所を知らざりしかば、久しからずして亡びし者どもなり。近く本朝を窺うに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらは奢れる事も猛き心も、皆とりどりなかりしかども、間近くは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人の有様、伝え承(うけたまわ)るこそ、心も「詞(ことば)」も及ばれね。


それを私が、意訳すればこのようになるである。
 

祇園精舎に響くという鐘は、仏が言われる如く「全てのことは過ぎ去り常なるものはない」という言葉のように聞こえてくる。そこに咲いているという沙羅双樹の花もまた、「今を盛りと咲く花もいつかは衰え行くぞ」という現実をを暗示しているのである。盛り時は、春の夜に見る夢のように儚いつかの間の夢なのである。どうしようもないほど勢いがあると思われた者でも、いつかは滅びてしまうのである。すべては風に舞う塵のようなものだ。

遠く他国を見れば、秦の始皇帝、漢の王奔、・・・これらの者どもは皆、古い習わしを蔑(ないがし)ろにし、国のあり方を勝手に代えて、私欲に耽り、楽しみを極め、忠義の者の諫めの言葉にも聞く耳を持たず、国中が乱れつつあることも悟らず、民の悲しみや苦しみを知らず、ついには自らの秩序を維持できずに滅びた者どもである。

近くわが国を見れば、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらの者どもは、その「奢り」も「猛き心」も皆それぞれに違うけれども、間近くは六波羅の入道平清盛公と申す人の有様を聞くに付け、「奢る」ということがいかなる結果をもたらすかを思い知るばかりである。それはまさに筆舌に尽くしがたい恐るべき歴史法則であることだ。


このように考えると、平家物語には、仏教説話的な様相があることが分かる。つまり教訓話なのである。平家物語が、まさに言わんとしていることは、「人間という者が、奢れば、必ずその報いは受けますよ。滅びますよ。そんなに猛々しい心を持って、世の中を渡って行けば、平家の人々のようになってしまいますよ」と、いう一点である。

ただ作者は、そのような歴史法則の物語として書いたものであるが、それが人々に受け入れられる過程で、その奢った者どもが、滅びていく様に、儚い美しさが、イメージとして加味されて行った。その結果、「平家物語」から多くの「滅びの美学」に通じる芸術が派生していくこととなったのである。

それはおそらく平家物語の中に、作者も意図しなかったような、日本人特有の美に対する無意識(ユングの言う集合的無意識)が働いていたのであろう。言い方をい換えるならば、平家物語が、日本中で受け入れられていく過程において、日本人の中に無意識として存在していた「滅びの美」というようなものと、「平家物語」が共鳴した結果であろう。ともかく「奢れる者」が滅びゆく様を教訓として、世の中に喧伝しようとした作者の創作意図とは、まったく別の方向において、平家物語は受容されていくことになったと見ることができるのではあるまいか。つづく 佐藤


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2000.12.7